私がメインで使っているPCが故障してしまったので、復旧するまでの間、ブログ更新があまりないかもしれません。機械は壊れるものだとはいえ、困ったものです。
さて、先週はダライ・ラマ法王が来日し、長野や横浜で講演されました。なんでも今回は動員数がかなり多かったように聞きます。
何度も日本に来ていて、特にここ数年は毎年来日されている法王は、日本では仏教への関心が高まっているようだと話されていました。聴衆の手ごたえなどからそう感じられたのでしょうか。
長らく「葬式仏教」などといわれてきて、最近ではその葬式にすらお坊さんを呼ばない人が出てきているらしいという状況からすると、仏教へ関心が高まっているというのは、ちょっと矛盾しているように思えます。
ですが、儀式的な習慣が惰性に成り果てたがために、そもそも仏教とはなんだったのかという根源的な問いに回帰してきたのだとすれば、矛盾ではないのかもしれません。
仏教というのは心の科学と形容されることもあり、人間の心の動きをよく観察して良い方向に持っていくことが重要視されているように思います。そうしたことに対する需要は時代を超えて存在します。むしろ、知的・精神的に高度な作業を必要とする職業につく人が増えた現代ではより多くの需要が存在するという見方さえ可能かもしれません。
今後、何かのきっかけで仏教が再発見される可能性があるのではないでしょうか。2002年頃からの自転車ブームは、自動車が溢れ返る世の中において、知的感度の高い人たちが「そうだ、自転車があった」と気付いて、ありふれた存在だった自転車を再発見して新たな役割を与えるものでした。同様に、「そうだ、仏教があった」という動きがあり得るかどうか。適当な契機があればそれは可能だと私は思います。
仏像ブームなんていうのもありますが、あれは美術品として鑑賞するにとどまっていて、仏教そのものとはあまり関係がないように思えます。しかし、そういう「器」が存在していれば、そこに実質を与えることは十分に可能です。アルボムッレ・スマナサーラの本もよく売れているようだし、新たな仏教受容の土壌は整いつつあるのかもしれません。