読書の最近のブログ記事

平野克己『南アフリカの衝撃』(日経プレミアシリーズ)を読みました。

南アフリカの過去と現在が分かる良い本だと思います。元々アフリカに住んでいた人々に加え、オランダからの入植者、連れてこられたマレー系の人々、さらにはイギリス人と、世界史の進展にあわせて複雑な変遷をたどってきたことが分かります。

さらには、企業活動のグローバル化、グローバル化の負の側面としての犯罪組織の国際的な活動など、良きにつけ悪しきにつけ、重要な国になってきているという印象を受けました。

また、アパルトヘイトが終わった後になると、アパルトヘイト撤廃のために活動していた人たちが行き場を失って失業者や犯罪者になってしまうなど、なかなかうまくいかないこともあるのだなと分かりました。

疋田智『ものぐさ自転車の悦楽――折りたたみ自転車で始める新しき日々』(マガジンハウス)は、折り畳み自転車を主に取り上げているものの、自転車に興味を持った人全般にとって興味深い本となっています。最近自転車がブームらしいけどどうなんだろう、と思っている人には格好の一冊といえます。

折り畳みに限らず、自転車に乗るうえでの色々なノウハウが説明されているので、これ一冊あれば、今までママチャリしか知らなかった人でもちゃんとした自転車のある生活が始められるようになります。実のところは、折り畳み自転車以外にも共通する話が多いといえます。

初心者向きとして折り畳み自転車を取り上げている理由としては、いざとなったら折り畳んで電車やタクシーに乗ってしまえばいいという気軽さが、勿論ひとつにはあります。しかしそれだけでなく、もし将来的にもっと別のタイプの自転車(ロードレーサーやMTBなど)に興味を持ったとしても、折り畳み自転車には異なる価値があるので、捨てる必要がない、併用できるという美点も説かれています。

さて、本書の導入部で自転車の効用のひとつとして説かれている、著者が自転車に乗るようになってクルマを手放したことによる経済効果の大きさは特筆に価します。駐車場代やガソリン代や税金などで年間約70万円、その額を住宅ローンの繰り上げ返済に充てたことで、10年間で実に1400万円もの違いになったといいます。これはすごい。

そういえば大前研一氏が以前雑誌に書いていたことですが、日本人はマイホームとマイカーにこだわらなければもっと豊かに生活できるということでした。30年前ならばマイホームとマイカーはそれ自体が豊かさの象徴だったかもしれませんが、今や我々をとりまく環境は大きく変わっています。不動産を買っても資産価値が下がってしまっていいのか、クルマはレンタカーやカーシェアリングで十分でないのか、といったことを合理的に判断するのが今時の賢い生活者でしょう。

自動車が大好きという人ならばクルマの所有にかかるコストも苦にならないかもしれませんが、そこは価値観次第です。一体、自動車や新築マンションに、その値段や維持費や手間を含めたコストに見合う価値があるものなのか、自分の価値判断に基いて再検討すべき時代になっていると思います。

勿論、自転車の効用は経済効果だけではありません。健康にも良いということはダライ・ラマが自転車をこいでいることからも分かりますし、健康面も含めて詳しくは本書を読んでもらえれば良いと思います。

自転車で新しい生活を始めることは、新しい時代の象徴ともいえるでしょう。このことがピンとこないという方にこそ、本書を読んでいただいて、なぜ自転車と新時代が関係するのかを探っていただければ良いと思います。

ダライ・ラマ14世の偉大な点として、仏教を押し付けない、仏教に閉じないということを挙げられると思います。ダライ・ラマはいうまでもなくチベット仏教のトップですが、世界中で読まれている彼の本は、特に仏教徒や仏教徒予備軍を対象とせずにごく世俗的な一般人向けに書かれ、しかしながら仏教のエッセンスに基いています。

ダライ・ラマ こころを導く言葉365』(春秋社)もそういう一冊です。仏教の見方に立脚しながらも、仏教徒以外に門を閉ざすわけでもなく、ましてや仏教への改宗を迫るわけでもなく、平易かつ論理的、常識的な言葉で書かれています。

本の主旨とあまり関係ないことながら、この本には面白いくだりがあります。

肉体労働をせずにすむ人々の多くが、肥満や病気を恐れて健康維持に多くのエネルギーを費やしています。実は私も同じです。私はあまり出歩きませんから、しかたなく自分の部屋で毎日自転車をこいでいます。

部屋の中で自転車をこぐダライ・ラマ! なんとユーモラスな。

さて、今ダライ・ラマは日本にきています。20日には長野、22日には金沢、26日には横浜で、法話や講演があります。詳しくはWebサイトに情報があります。横浜では地下鉄の駅に講演会の大きなポスターが貼られていたそうで、日本での関心も高まりつつあるように思 われます。

友野典男『行動経済学――経済は「感情」で動いている』(光文社新書)を読んでいたら、次のような問題が掲載されていました。

次のような4枚のカードがあり、表にはアルファベットが、裏には数字が書かれている。今、「母音が書いてあるカードの裏には偶数が書かれていなければならない」という規則が成立していることを確かめるためには、どのカードの反対側の面を確かめなければならないだろうか?

[E] [K] [4] [7]

これは高校の数学で習う論理学の初歩を理解していれば確実に解ける問題です。

正解は同書を読んでもらうとして (ヒントは「対偶」)、気になったのはこの問題の正解率の低さです。一般的に10%以下、この本の著者が学生相手に実験したところでも15%程度、入試で数学を選んだ学生でさえ、それより少し高い程度だったといいます。

高校の授業をもう少し真面目に受けていれば、もっと正答率が上がるはずではないかと思います。決して難しくはない内容なので、きちんと先生の話を聴いていたかどうかの問題です。

高校の数学にもいろいろありますが、論理学や集合の初歩というのは、簡単な割に有用性が高いので、ぜひ覚えておくといいと思います。ここで念頭に置いているのは、「文系ですけどSEになれますか」といった類の人のことです。そういう人は、微分方程式が解ける必要はないけれども、論理や集合の基本を復習しておくときっと良いことがあるでしょう。

石濱裕美子『世界を魅了するチベット』(三和書籍)を読みました。

チベットの仏教文化が西洋世界にどのように受け止められてきたかを、小説や映画などを手がかりに明らかにしていく本です。

チベットのような東洋のことは、同じ東洋人の日本人などの方が分かっているはずという予断を抱きがちかもしれませんが、必ずしもそうではないということがこの本から分かります。

例として最初に取り上げられているのは、20世紀最初の年に書かれたキプリングの『少年キム』です。当時の植民地獲得の時代背景と西洋人の思想的状況を説明し、キプリングが物語の中でチベット仏教僧に特別な役割を与えた背景を説いていきます。また、作者のチベット理解の程度も検証しています。

イギリスでは20世紀初頭には既にチベットに対して作者と読者の間に共有されるイメージが存在しており、チベット仏教もそれなりに理解されていたことが分かります。そこにはそれなりの必然的な背景があったということです。

『少年キム』のほかにも、シャーロック・ホームズの小説や、理想郷シャングリラを描いた『失われた地平線』といった20世紀前半の小説から、当時の時代背景とあわせて、西洋におけるチベットのイメージをあぶりだしています。

後半では、リチャード・ギアやロバート・サーマンといった著名人とチベットのかかわりや、映画の中のチベット、スティングやビョークといった歌手を取り上げています。

さて、我が国では、政権与党の政治家が日本の人口の少ない地方を指して「日本のチベット」と言って物議を醸したのが記憶に新しいところです。このようなお寒い認識しか持たない政治家がチベットを理解しているとは到底言えません。そのような国会議員を持っていることについて我々国民はもう少し真剣に考えた方が良いのではと思いました。当の議員はぜひこの本を読んで、認識を改めていただきたい。そうでないと西洋の知識人の前で恥をかくことになるでしょう。

少し前に、オープンソースソフトウェアのライセンスについて調べる必要がありました。私は個々のライセンスについて詳しくないので、可知豊「ソフトウェアライセンスの基礎知識」(ソフトバンククリエイティブ)が役に立ちました。

代表的なオープンソースのライセンス、例えばBSDライセンス、Apacheライセンス、GPL、CPL、など、を、特徴によって分類することで、理解の見取り図を描きやすくなっています。

仕事などでオープンソースソフトウェアを利用する必要が生じた、でもライセンスって厳密に考えたことないや、なんか面倒くさそう、といった場合に役立つ一冊です。細かいことはライセンス自体にあたる必要があるでしょうが、その前におおよそのところを理解するのに良いでしょう。オンライン上には読者のためのサポートページもあります。

ルビの誤り

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ある小説を読んでいたとき。

「頰」という字の横に、「ほお」というルビが振られていました。「ほほ」と書かない見識はさすが文芸出版社と感心しつつ読み進めていったのですが、同じ本の別の箇所では同じ字に「ほほ」とルビが振られていて、アレレと思ってしまいました。このブログをお読みの方には釈迦に説法でしょうが、「頰」は「ほお」が正しいとされています。

一冊の本の中でどうして違ってるんだろうと不思議に思いました。

今日、また別の本を読んでいたとき。

「燭台」という語に、「ろうだい」とルビが振られていて、ンンンと引っかかりました。どう見ても「しょくだい」だろうこれは。「蠟燭」という熟語が元で混同したのでしょうか。

2冊の例だけで一般化するのもどうかという気もしますが、一般の本でも案外、ルビの間違いがあるものなのでしょうか。それともたまたま、稀な例に続けざまに当たっただけなのでしょうか?

つい先日発売された、筒井康隆「アホの壁」(新潮新書)を読みました。

いうまでもなく、養老孟司「バカの壁」に影響されたタイトルですが、内容は特段の関係がありません。本書の「序章 なぜこんなアホな本を書いたか」によると、このタイトルを思い付いた時点で作者は「バカの壁」を読んでいなかったということです。

この「序章」に執筆の経緯が書いてあるのですが、ここがまず秀逸。というか、面白い。

仕事をしている人であれば、最も自分に引きよせて読むことができるのは、第4章「人はなぜアホな計画をたてるか」だと思います。この章に書かれていることをどれもこれも他人事だとして読んでしまい自らを顧みることを全くしない人は、おそらく、それこそ真正のアホであるか、ないしは凄い天才であるかのいずれかでありましょう。

本書には、ベストセラー「国家の品格」(藤原正彦)の後にわいて出た「品格本」についても、「成功した事業を真似るアホ」として言及した箇所があります。二匹目の泥鰌を狙った本がどれだけあったのかを示す「品格本」のタイトルの列挙はまさに圧巻で、「朝めしの品格」だの「月イチゴルフの品格」だのという書名の本が出版されていたことには驚くよりありません。

今さらながらと思いつつも、書店でたまたま見かけたので購入して読んだのが、こうの史代「夕凪の街 桜の国」。2004年の作品。評判は知っていて興味を持っていたのですが、何となく先延ばしにしていたものです。

読み始めたが最後、何度も読み返してしばらくその場から動けないくらいの深い感動を受けました。

私の本なんかよりも、こういう優れた作品を読むべきです。いや別に自分で営業妨害することもないのですが、それくらい感動したということです。永く読み継がれてほしい作品。

菅正広『マイクロファイナンス』中公新書を読みました。

マイクロファイナンスといえばバングラデシュのグラミン銀行が有名ですが、実は欧米先進国でも取り入れられていて、貧困層の支援に一役買っている。日本にも必要ではないですか? という話。

日本というのは大体において豊かで、貧困というのはごく一部にすぎないという風に考えられてきたけれども、いやいや実はそうではない、ということの説明に全7章のうちの1章が割かれています。貧困は日本においても克服すべき重要な課題のひとつだということです。

マイクロファイナンスが消費者金融とどう違うか、マイクロファイナンスによって貧困を改善するために政府や企業やあるいは市民がどうかかわるべきか、といったことが論じられています。

実効性のあるマイクロファイナンスを日本で実施するにはよく考えて制度設計する必要があるでしょうし、そもそもマイクロファイナンスが万能でもないでしょうが、注目に価する動きだと思います。

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