「文字コード技術入門」こぼれ話: 「ほうの木作」を訪ねる
著者の個人的な思い入れとしては、本書「プログラマのための文字コード技術入門」の第3章p.113の図3.32、「𣖔木作(ほうのきざく)」の住所表示の写真は会心の一枚です。この写真を撮影した経緯を以下に記しておきます。珍しい地名のお好きな方は興味を持たれるかもしれません。
𣖔木作はどこにある
JIS X 0213制定時に第4水準漢字として追加された「𣖔」という漢字があります。2面15区10点です。SJISではF449という2バイトのコード値になります。福島県の𣖔木作(ほうのきざく)という地名を典拠として追加された文字です。Unicodeには当時この字はなく、Unicode 3.1で面02のCJK統合漢字拡張Bの領域に追加されました。Unicodeの符号位置はU+23594です。(このような説明が何を言っているか分からないという方は、拙著をご参照ください)
この字について、実際に使われている例などないかとwebを探していたのですが、あまりぱっとしたものはありません。
福島県というけれども、どのへんなんだろう。山間の小さな集落か、人が寄り付かない秘境のような場所なんじゃないだろうか、などと勝手に思っていました。
とりあえずGoogleマップで見てみるとこんな感じ。
すぐ西の方に駅があります。実は駅に近い。あれ、どういうことなんだろう。徒歩10分くらいといったところ。しかもこの駅は温泉地として知られるいわき湯本です。
呆れてしまいました。人口30万を擁するいわき市の特急の止まる駅から徒歩10分のところに、JIS X 0208にもUnicodeにもない(当時)漢字を使った地名が堂々と存在していたのです。
でもこの地名はちょっと山の中のようにも見える。森林の一角にそういう地名が付いているだけで、人の住んでいるとことろとは違うんじゃないだろうか、というようにも見えます。
いくつか地図サイトを試してみて、「いつもナビ」を見てみたら意外な事実がわかりました。この地図サイトは地名の境界もわかるようになっていて便利です。
𣖔木作は山の方も含んでいるけどちゃんと建物のあるエリアも含んでいるのです。その中には100円ショップや「紳士服のコナカ」まである。「紳士服のコナカ」のある土地が秘境であるわけがない。
行ってみるしかないのでは。ということで現地調査を実施することにしました。
実際に行ってみる
とはいえ、JIS X 0208制定時の調査の網から逃れているということは、もしかすると現地では既に使われていない漢字なのかもしれない、という懸念もありました。行ってはみたものの全然使われていなかった、という可能性も十分にあります。JIS X 0213が収録したといっても、役所の資料にちょっと載っていただけで、いま現在は現地で実際に使用されていないかもしれないとも考えられるわけです。
そういう不安を抱えながらも湯本駅に着きました。さてどっちに歩いていけばいいのかと、駅前の地図を見ていたら。

ありました。𣖔木作。駅前でもはや使用例を発見してしまいました。ばっちりです。
駅から行くのは簡単で、国道6号を南に下っていけばよい。紳士服のコナカの看板が見えてきました。
このへんが𣖔木作のはず。そう思ってあたりを見てみると、電柱に住所表示を発見。

おお、漢字でばっちり書いてあります。素晴しい。
近くをうろうろしてみるとこういうのもありました。崖の下の注意書きです。

さらに、地元の人が設置した駐車禁止の注意書きにも漢字で𣖔木作と書いてありました。きちんと地元の人に使用されている文字だとわかります。

かすれてちょっと見づらいですが、「𣖔ノ木作」と書いてあるようです。
また、写真を撮るのは遠慮しましたが、民家の表札にも住所として漢字で𣖔木作と書いてあるお宅がありました。表札に書くぐらいですから、そこに住んでいる人が自分の住所の文字として実際に用いているのだと断言して良いでしょう。
𣖔の字、ばりばり現役です。現代日本に生きて使われている漢字です。
図書館にて
せっかくここまで来たので、地元の図書館に寄って調べてみることにしました。
いわき市の行政資料を見てみました。漢字で𣖔木作と書かれています(「第39回 いわき市統計書」平成20年版より)。
また、遺跡の資料にも𣖔木作の名前の入ったものがあります。いわき市教育委員会による出版物の中にある記載です(「いわき市遺跡地図」2003年3月、いわき市教育委員会、より)。
地名の由来や、そもそもこの字はどうしてできたかなどが分かると良かったのですが、短い時間ではそこまで調べがつきませんでした。残念。
文字コードに興味のある方は、温泉地湯本で湯につかるついでに、このJIS漢字名所に立ち寄ってみてはどうでしょうか。
2010年4月5日