大学カードというものがある

今や生活に欠かせないクレジットカード。ネットでの買い物には特によく使います。

使うと大学の支援になるクレジットカードがあります。カードで買い物をすると購入金額の一部がカード会社に手数料として支払われますが、その一部が大学の活動の支援に回されるというものです。大学カードと呼ばれるようです。どれくらい広く知られているものかよく分かりませんが、私は最近知りました。

こうした大学カードは、カード会社と大学が提携して発行しています。その大学の卒業生や教職員、あるいは学生の父母が発行対象となります (カードによって異なります)。在校生は対象でないことが多いように見受けられます (この点もやはりカードによって異なるでしょう)。

大学の支援になるだけでなく、利用者向けの特典として、大学の施設の料金の割引や、近隣のお店の優待などが用意されていることもあります。

どんな大学にあるか

国立大学では、北海道大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学などに大学カードがあります。

例えば北海道大学カードの場合、カードの手数料から、奨学金や留学支援金、課外活動への費用援助等に活用されるとのことです (北大カードのページより)。カード利用者の負担なしに母校の支援ができるのはうれしいですね。

自分の母校にこうしたカードがあるかどうか、ネット検索してみるとよいでしょう。大学カードの情報を集めたサイトもあります。

どれくらいの額になるのだろう

ただ、支援といっても、ひとりの額としてはさほどにはならないのではないかなとも思えます。カード利用時に何パーセントが寄付されるのか具体的な数字が書かれていないので憶測ですが、例えば仮に1%だとすると、年間10万円使ったとしたら1,000円でしかありません。もちろん、実際のパーセンテージや利用額によって様々に変わり得ますが、ざっくり言ってそのオーダーだと思って大きくは違わないのではないでしょうか。

それなら自分で大学に何万円かさっさと寄付した方が手っ取り早い、というのもあり得る考えです。(北大の場合は北大フロンティア基金)

ただ、自分の意思で重い腰を上げて寄付するのと違って、普段の生活の中で意識せずに少しずつ寄付されていくという仕組みは、使う人が多いほど威力を発揮しそうです。

曖昧な言い方が好まれる風潮があると感じています。しかし、仕事の文章のような正確さが重要になる場面でまでぼかした言い方をするのは望ましくありません。説明や論述の文章では言葉の明晰さを重視すべきです。

「など」という言葉は曖昧にするのによく使われます。ここではこの言葉の使い方を取り上げます。

「など」と書いたら、「ほかには何が」と問う

「リンゴやミカンなどを買ってきた」というと、ほかにはバナナやイチゴもあるのかな、と思います。このように、「など」という言葉は、「ある語に添えて、それに類する物事が他にもあることを示す」(広辞苑) ために用いられます。

しかし、必要もないのに「など」をつけてしまう例が時折見受けられます。会話の中で思いつきでしゃべっているような時はともかくとして、ある程度正確さが要求される文章では、「など」と書いたら「ほかには何があるんだっけ?」と考え直してみましょう。もし、該当するものが既に挙げたものしかないなら、「など」は要りません。

例をひとつだけでなく複数出す

上の例文、横着して「リンゴなどを買ってきた」と例示を一つだけにすると、リンゴのほかにどんなものがあるのかが曖昧です。相手や文脈によって、言わなくても通じる状況なら別ですが、一般的には複数の例を出してほかに何があるのか推測しやすくするのが適当です。上記の例のように「ミカン」を付け加えれば果物シリーズになりますし、ほかには例えば「リンゴやきりたんぽ、わんこそばなど東北の味覚」というように、別の種類のものを並べれば別の意味になります。

他の意味の「など」もある

補足しておくと、「など」という言葉にはここで扱った用法のほかにも、「軽んじて扱う場合」「引用文を受けて、大体このようなことを、の意」(ともに大辞林より) といった意味もあります。これらの場合には上記の説明が当てはまらないことはもちろんです。

笹原 宏之『漢字に託した「日本の心」』 (NHK出版新書) を読みました。

漢字は古代中国から渡ってきたものですが、日本では中国とは異なる使われ方やとらえ方をされているということが分かります。中国では音が重要なのに対し、日本では言語としての音とは別に意味を表すという傾向が示唆されます。本書の例でいえば、料金表の「大人・小人」のような「小人」は何と読むのか分からないが意味は通じるといった具合です。

現代の漢字の簡略化でも、中国のそれは文字の音が重視され、発音の同じで画数の少ない文字を借りて簡体字とすることがしばしばあります。例えば中国の通貨の「元」ですがこれはもとになっている漢字「圓」と同じ発音の「元」を借りたもので、字の形を略したものではありません。日本では「圓」の字の形を略した「円」になり、韓国では「圓」の読みのウォンを採用するけれども漢字はもう使っていないという、同じ字がベースになっていても三者三様のあり方が見て取れます。

本書に挙げられている別の例で言えば、現代中国で「穀」を「谷」とするのもやはり音による簡化で、一方、日本語では「たに」「や」など地域により異なる音で同じ概念をもつ言葉に「谷」をあてるという (東京の「渋谷(しぶや)」のように、「や」は関東地方に多い言い方)、異なったあり方になっています。

さらに、同じ言葉でありながら字面の雰囲気で文字を選り好みするという傾向も日本独自のものとしてみられます。「ひざし」という語について「日差し」「日射し」などの表記のイメージを学生に調べたことが述べられています。また人名ともなると、文字のイメージやさらには文字を構成要素に分解してのイメージによって使われることもあり、日本の漢字は表語文字・表意文字から離れて「表イメージ文字」とでもいうべきものになりつつあるのではないかと述べられています。

字の構成要素を文字そのものよりも重視するようになるととんでもない勘違いのもとになります。本書の例では、「月」と「星」のイメージから子供の名前に「腥」という字を使おうとしたという話があります。勿論これは「なまぐさい」という字です。

本書は実に様々な例を持ち出しているのですが、私が面白いと思ったのは歌についてです。流行歌の歌詞において「ジャスミン茶 (ティー)」のように漢字に独特なルビを振るのは、本来的に声として聞かれるべき歌詞でこうしたことが行われるというのが面白い現象だと思いました。歌詞の表記を凝ったとして聞き手にそのこだわりが届くものでしょうか。ちなみにコスモスという花を「秋桜」と書くのは流行歌から普及したのだそうです。

漢字・平仮名・片仮名という3種類の文字を使い分ける表記体系において字面のイメージを全否定することはできないとしても、文字の本分として、辞書的な意味、語義というものを重視した運用にしていかないと、言語表記がいたずらに煩雑化してなおかつ大した意味がない、ということになりかねないのではと懸念します。

他人の写真や文章を盗用・コピペする「キュレーションサイト」の問題が大きくなっています。

私はFlickrにアップロードした写真を勝手に利用されたことが何度もあり、何度も抗議しました。その結果、最もひどいサイトは、Flickrの写真についてはCreative Commonsライセンスの指定がされているものだけをコピペ利用するようになったようです。

何でもかんでもコピペしていた時から見たら一歩前進とは言えるのかもしれませんが、彼らの使い方を観察していると、CCライセンスを誤解していることがわかりました。簡単に言うと、条件に従った方法で利用していないので、ライセンス違反ということになります。

従うべき条件とは

CCライセンスは「無条件で利用して良い」というものでもなければ、ましてや著作権を否定したり放棄したりするものでもありません。所定の条件を満たす限りにおいて自由に使って良いというものです。

条件は著作権者がいくつかの組み合わせから選べるようになっています。具体的には、BY (表示)、NC (非営利)、ND (改変禁止)、SA (継承) という要素の組み合わせで指定されます。例えば、「BY-NC」ならば、「『作者や作品に関する情報を表記すること』と『非営利目的で利用すること』を条件に、作品の利用を許可する」ことを意味します (「FAQ よくある質問と回答 | クリエイティブ・コモンズ・ジャパン」より)。

つまり、作品がどのように使われるべきか、著作権者に対して選択肢を用意しているということになります。

これらのうち「BY」については常に現れるので、クレジット表示はCCライセンスの作品を利用する上で必須となります。

また、「NC」(非営利)が指定されているものについては、営利目的で勝手に使うことはできません。もっとも、これは当該ライセンスのもとではということであって、別途著作権者の許諾を得れば可能ではあるので、営利目的で使いたいのならば相談してみると良いはずです。(ちなみにキュレーションサイト(パクリサイト)が不思議なのは著作権者に連絡して著作物の利用の許諾を得るという発想がまるっきり存在しないことで、駄目元で相談してみるとか考えはしないのだろうかと思います。そういう手間のかかることを嫌ってとにかくコピペでページを量産してページビューを稼ぐことこそ至上と考えているのでしょうか)

それぞれの条件について詳しいことはクリエイティブ・コモンズ・ジャパンのサイトの説明を参照してください。

違反するとどうなるか

上記FAQによると、ライセンス違反の場合は違反者に対する利用許諾契約は自動的に終了するとのことです。もうその人は使ったら駄目ということですね。

著作権者の意向を尊重した利用を

写真でも文章でも音楽でも同じことがいえますが、著作物の利用は著作権者の意向を尊重することが必要です。もちろん著作権を侵害しないということが前提ですが、自由に使って良いという意思表示がされている場合でも、それは何らかの効果・効用を期待した上での選択であるはずです。例えば、それにより有名になって製作者として新たな仕事が得られるようにという期待だったり、企業の場合であれば関連製品が認知されて売れるようにという期待だったりするでしょう。何らかの思惑があるということを理解すべきです。

何にせよ、著作権法で制限されている場合を除いて、作品がどのような条件で利用できるかを決めるのは著作権者だということです。

北海道の冬のイベントというと札幌の雪まつりが有名ですが、隣町の小樽で同じ時期に開催されている「小樽雪あかりの(みち)」もまた違う魅力のあるイベントで、着実に人気を集めています。

今年で19回目となります。近年は海外からも観光客が来るようになっています。雪まつりと合わせて回っているのでしょうか。

小樽運河と旧手宮線の跡地がメイン会場で、ほかにも複数の会場があります。会場と指定されている場所以外でも、商店の店先などにあかりを灯している光景が「あ、こんな所にも」と多数見られます。

今年は私は行けないのですが、以前撮った写真からいくつか。

小樽運河

有名な小樽運河がメイン会場の一つです。運河の遊歩道に雪のランタンを作ってキャンドルのあかりを灯しています。運河の上にもあかりを浮かべています。

ランタンはこんな形。風などであかりが消えてしまったものにはボランティア要員が灯して回っています。

手宮線会場

運河と小樽駅の間に、運河と並行するように走っているのが手宮線会場。ここではオーソドックスなランタンの他にも様々な造形を見ることができます。

このカップルは大人気で人だかりができていました。

雪や氷で作っているものですから、温度によっては溶けてしまいます。タイミングに恵まれると良いのですが。

これは別の年に見たうさぎ。同じく手宮線会場です。

Snow rabbits / 雪うさぎ

天狗山会場

スキー場のある天狗山も会場に指定されています。ここは少し特別なイルミネーションがあります。

Illuminated alone 2015 / 雪あかり 一本桜

スキー場のリフトを上がった先に一本桜があるのですが、それが光で彩られていました。闇の向こうには小樽の街灯り、その先は日本海です。

夜があけたら......

おまけ。小樽で朝を迎えたら、北一硝子に行ってみましょう。ホールのシャンデリアのランプを灯す作業がみられます。

Lighting a chandelier / シャンデリア点灯

参考情報

GNU libiconvはJIS X 0213の符号化方式、Shift_JIS-2004 (Shift_JISX0213) や EUC-JIS-2004 (EUC-JISX0213) に対応していますが、コマンドを実行した際にこれらが入っていない場合もあり得ます。入っているかどうかはiconvのコマンドラインオプション --list で確かめられます。

これらの符号化方式に対応するには、ビルドする際にconfigureのオプション --enable-extra-encodings を指定しておく必要があるようです。インストールされているiconvコマンドでShift_JIS-2004が使えないときはこれが指定されていなかった可能性があります。もしこれらの符号化方式が入ってなかったら、管理者に相談するか、そうでなければ、自分でソースをダウンロードして上記のオプションを用いてビルドしてみるのもいいでしょう。

SJISやEUCと変換するときは常にShift_JIS-2004, EUC-JIS-2004を使いたいので、これらに対応した iconv コマンドを用意しておきたいものです。

参考: GNU libiconv

DeNAのキュレーションサイトWelqの大炎上に端を発して、様々な「キュレーションメディア」の問題が注目されています。他のサイトから著作権無視でパクった文章や写真をつなぎ合わせただけのいいかげんな記事をありえない激安報酬のクラウドワーカーに大量生産させてSEOテクニックでGoogle検索上位を独占している、といった問題です。

ここではこの「キュレーション」なる語に注目してみます。キュレーションサイト問題を扱ったネットの記事では、キュレーションというのは本来は高度な知識を要するものなのだ、といっていたりしますが、それはどれくらい本当か、というのも問題意識にあります。

一般向けの辞書を引いてみる

研究社の新英和中辞典では、curatorという単語に、「(博物館・図書館などの)館長、主事」という説明が与えられています。いわゆるキュレーションというのは、この語から逆成した造語ではないかと思います。というのは、同辞書にはcurationという単語は立項されていないからです。同じく学習者向けという位置付けの、英英辞典 Longman Dictionary of Contemporary English 4th Editionでも同様です。

おそらく、「curateという動詞があってそこからcurationやcuratorという名詞ができた」となんとなく思っている人がいると思いますが (私は最初そう思った)、辞書を引いて分かるところでは、そうではありません。

curateという語は動詞でなく名詞で、キリスト教の教会の役職を表す言葉のようです。英和中辞典では「(教区の)副牧師」「助任司祭」、Longmanでは「a priest of the lowest rank, whose job is to help the priest who is in charge of an area」とされています。ラテン語からきており、cureと関係のある言葉です。

図書館でオックスフォード英語辞典 (OED) 第2版をひいてみると、curate, curatorとの並びにcurationという語もあります。これも教会関係の語で、cureすることが中心的な意味になります。これらの語の説明のうち、博物館の管理業務のような現代的な意味はcuratorの語の項目の最後に記されているのみです。curationという語にはそのような意味は記されていません。

Digital curationという用法

Google Scholarを検索してみると、2000年代からdigital curationという語が学術論文で使われるようになったようです。きちんと調べたわけではなくいくつかの記事の梗概を見ただけですが、これは蓄積されたデジタルコンテンツを将来にわたってアクセス可能にするために維持管理していく活動を指しているようです。おそらく、curatorという語から、博物館の収蔵品の管理という意味合いに基づいて派生した語法ではないかと思います。

ここには、ネット検索で出てきたものを切り貼りしてサイトを作るという意味はありません。

そして今問題の「キュレーション」は

そこから先の展開はまだ追っていない (というか、どういうふうに誤解ないし我田引水したのか、先が読める気がして興味が潰えた) のですが、多分ウェブ業界の人がさらに独自の意見を加えて今の「キュレーションサイト」につながったのだろうと推測します。

もっとも、何も維持管理してなくてウェブの検索結果をコピペしてくるのが「キュレーション」というのはかなり無理があるように思えます。少なくとも何も「cure」していない、むしろ損なっているものの方が多いのではないでしょうか。

おわりに: 辞書くらい引こう

言葉について何か言いたいなら、まずは辞書を引くことだと思います。本当はどのような性質の辞書かということもあわせて考慮する必要があるのですが、それにしても辞書の一つにもあたらないで分かったつもりでいるよりは、何でもいいから手近な辞書を引いた方がずっと得るところがあります。

何日か前の朝のNHKニュースで札幌の夜景を紹介していました。札幌の夜景は近年注目を集めています。日本三大夜景のひとつにも数えられました。光の輝きが平野をどこまでも続くようなイメージが印象的です。

加えて、今の時期の特徴は、雪があることによる色味です。真っ暗になる前、まだ薄明の残っている時間帯は写真愛好家にはブルーアワーとかマジックアワーとか呼ばれて独特の青い色合いを出すことが知られていますが、雪があると青白さが一層際立ちます。街灯の黄色味のある光との対比があるとなお強く印象に残る景色になります。

過去に北海道で私の撮った写真からいくつか紹介したいと思います。

札幌の冬の夜景

まず札幌の夜景。

札幌中心部を見たものです。前方に大通公園、そしてその先にすすきのの街明かりがあります。建物の屋根の上に雪が積もっている、そのあたりは青白い光になり、一方で道路は街灯のオレンジ色の明かりで対照をなしています。

真っ暗になってしまうと雪の青白さは分からなくなってしまうので、時間帯の見極めが肝心です。

同じ構図でもう一枚。同じような機材で同じような時間帯に撮っていますが、まったく同じとはいきません。微妙に建物が増えているのが分かるでしょうか。

函館の冬夜景

北海道で夜景といえば有名なのは函館。

これは雪のあるときです。建物の上が青白いのが分かると思います。

もう少し前、明るい時間帯だとこうなります。

こちらの方が好みという人もいるでしょう。

時間が進んで暗くなるとこうなります。

こうなるともう雪の有無はあまり関係ない感じです。強いて言えば左手の海に突き出した「緑の島」や手前の街の方は青みを感じるでしょうか。

雪のない季節の札幌の夜景

参考まで、札幌の春の夜景から1枚。市街地の南西にある藻岩山からの眺めです。雪がないので建物に青白い感じはしません。ここからの眺望は素晴らしいので、雪のあるときに是非ここから夜景撮影をと思っているのですが、冬は寒そうですね。

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「2バイト文字」という言い方につっこみをしている人をあるところで見かけたので、これについて少々。

漢字や平仮名を「2バイト文字」のようにいう語法はずっと前からあります。昔からあるのだからいいのかというと、むしろこれは昔だからこそ便宜的に通用した言い方で、今では不適当です。順を追って説明します。

「何バイト」は文字そのものの性質ではない

まず、根本的なこととして、ある1文字の符号化表現に何バイトを要するかは、文字それ自体の属性ではなく、用いる文字コード (コード系) に依存することです。

例えば片仮名の「ア」を符号化するのに必要なバイト数は、JIS X 0201なら1バイト、JIS X 0213なら2バイト、UTF-8なら3バイト、UTF-32なら4バイトと様々に異なります。割り算の記号「÷」は、ISO/IEC 8859-1では1バイト、JIS X 0213では2バイト、UTF-32なら4バイト。

昔はあまり気にしなくてよかった

ただ、昔はそういう面倒なことを言わずに済んだのは、日本ではASCII/JIS X 0201とJIS X 0208だけを考えていれば良かったためです。これなら「漢字は2バイト文字」のような言い方で良かった。1バイトコードと2バイトコードを混在させると英数字や片仮名に1バイトと2バイトの両方が出てきますが、前者を「半角」後者を「全角」と呼ぶことであたかも別の文字のような扱いをすることで乗り切ってきた。

そういう牧歌的な時代が過ぎて、Unicodeが出てきたりまた8859など他の文字コードも意識するようになると、「どの文字コードの話をしているのか」をはっきりさせないと「何バイト」ということはいえなくなったわけです。

特定のコード系についての話ならOK

もっとも、逆に言えば、例えばShift_JIS-2004といった特定のコード系を前提とした場面では、「2バイト文字」とか「1バイト片仮名」といった言い方は全然アリです。

まとめ

  • 漢字や平仮名といった (コード系とは独立な) 文字種のつもりで「2バイト文字」というのは不適当。ある文字が何バイトかは用いるコード系による。
  • 特定のコード系を前提とした場面で、その系における1バイト文字、2バイト文字、のような言い方はOK。
  • なぜ昔はそういう煩わしいことを気にせずに済んだかというと、ASCII/JIS X 0201とJIS X 0208しか対象としていなかったから

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すごい後知恵なんですが、1980年代に「EUC」方式の文字コードをISOで国際標準化しておけば良かったのではと考えます。

EUC方式、というのがどういうことかというと、

  • 8ビット符号表のGL領域(0x20-0x7F)にASCIIを配置、
  • GR領域には2バイトの漢字コードを配置

という形が基本で、必要に応じてシングルシフトコードでG2, G3に指示されている2バイト(ないし1バイト)符号化文字集合をGRに呼び出せるステートレスな符号、というものです。

具体的には、EUC-JIS-2004, EUC-JP, EUC-KR, EUC-CNなどです。

これはISO/IEC 2022の枠内の運用なので、別段この方式を改めて標準化する必要はないのではないか、という意見もあるでしょう。しかし、型決めしておくことによるメリットもあります。理解が容易になり、設計や実装も使い回せる。特に2022は複雑ですからね。

ISO/IEC 8859という規格は、GLにASCII、GRに欧州等の各地域ごとの文字集合を配置した1バイトコード、という形になっています。この2バイト版があっても良かったのではないか。

それは世の中で「EUC」と呼ばれてそれなりに共有されているのだけども、ISOで標準化されていなかったのはもしかすると惜しかったのではないか。特に、2バイトコードが出てきた早いうちからそれがあれば......、と考えた次第です。