2012年11月アーカイブ

Flickrに写真を載せていると、外国の人からコメントをもらったり、 "Favorite" される(Facebookの「いいね!」のようなもの)ことがあります。結構、外国の人に見てもらえるようです。(ここでFlickrといっているのは私がたまたま使っているからの話で、Instagramなり他の写真共有サイトなりに置き換えてもらっても結構です)

そうすると、世界の人と、自分の見た・体験した、いいものを共有できることになります。これはいいことですね。

原理的には、自分が見た・撮ったものならば、世界中のものが対象になるわけですが、現実問題としてそんなに頻繁に海外に行くわけでもないので、基本的には日本のものが中心になります。普通はそうでしょうし、それでいいと思います。日本のいいものを世界の人たちと共有するというのは素敵なことです。

そこで、日本のどこで撮ったのか、何という場所なのかを、ローマ字で記す必要がある。例えば私はこの前、宮城県は大崎市の鳴子峡に行ってきましたが、Ōsakiという街なんですよ、Miyagi prefectureにあるんですよ、ということを是非とも記しておきたい。そうすれば、それを見ていいと思った人が、そこを訪ねるきっかけになるかもしれない。

外国の人が「日本のどこかに素敵な景色がある」と分かっても、それが具体的にどの県のどの街にある何と呼ばれる場所なのか分からないと、行きようがないし、知識が広がらないわけです。だから私は必ず、Flickrにアップロードする写真にはローマ字で地名などを記すようにしています。

そういうときに、先般公開したローマ字地名辞書が役に立つのです。Ōsaki だとか、Kyōto だとか、Yūbari, Ōma, Nikkō といったような、長音符号つきのローマ字の地名を簡単に入力できる。

長音符号がないと、日本語の表記としては極めて不十分です。"Yubari" では「ゆばり」なのであって、「ゆうばり」は是非とも "Yūbari" (あるいは Yûbari)としたい。こうした長音符号つきのローマ字はJIS X 0208になくJIS X 0213で追加されました。JIS X 0213が重要である理由の一つにローマ字を挙げることができます。

正当な日本語表記を簡単に入力できるというのが、大事なことだと考えるわけです。それは日本語の国際理解を促すことにもつながることでしょう。

eBookJapanは漫画の数の多い電子書籍販売サイトですが、あるときふと、ここに「レース鳩0777(アラシ)」(飯森広一 作)があることに気付きました。

この漫画は、鳩レースを扱った、一風変わった作品です。伝書鳩というのは、かつては通信文などを運ぶ実用のための存在でしたが、その鳩を使ったレースがあるんだそうです。

子供のころに途中まで読んだことがあって、面白く読んでいたのですが、理由は分かりませんが途中までで読むのを止めてしまっていました。たぶん、買うだけの小遣いがなかったか、近所の書店に置いてなかったか、といったところではないかと思います。

確か、私のいとこの家にこの本があって、遊びに行ったときにたまたま見つけて読ませてもらったら夢中になって読み始めて、それでいとこが「そんなに気に入ったならあげるよ」と、何百円もする高価な (←子供の感覚) 本を気前よくくれたのだと記憶しています。

そういう思い出の作品が今、電子書籍という形で、部屋の中で寝転んだままポチッと購入できてしまうわけです。

これはぐらっときます。

eBookJapanは同じシリーズの作品は1巻から最後までまとめて表示されて、ご丁寧に「全選択」ボタンが用意されています。こういうところはよくできている。全巻まとめて大人買いしてしまいそうな勢いです。まだ買ってないけど。

思うに、こういう「なつかし需要」というのはそれなりにあるのではないでしょうか。CDでも、80年代のヒット作を集めた企画もののアルバムとかありますね。電子書籍は場所をとらないので、なつかし漫画の大人買いなんてうってつけでしょう。(いくらなつかしくても、本棚の幅を何十センチ消費するとかだと、住宅事情の面でつらいものがある。住宅は大人にならないんですかね)

別の作品はどうだろうと考えて、昔コロコロコミックで連載されていた「あばれ! 隼」を検索してみたのですが、こちらは漫画6万冊以上を誇るeBookJapanにもありませんでした。

これがどんな漫画かというと、野球漫画なんですが、大人の目から見るといろいろツッコミどころが満載であったようで、子供のころとは違う楽しみ方ができそうです。

まあ、漫画はぶっとんでいたほうがいいんじゃないでしょうか。キャプテン翼のような有名作品にもかなり無茶なのがありますしね、スカイラブハリケーンとか。リアリティと面白さのどちらかを選ぶなら当然後者でしょう、漫画ですから。

そんなわけで、電子書籍で子供のころに読んだ漫画を再訪してみるのもいいのではないでしょうか。

(余談ながら、というかこれが余談でいいのかという気もしますが、eBookJapanはDRMが結構きついので、もう少しなんとかならないかなーとは思います。「トランクルーム」というサーバ上の保管場所を介して複数の端末に移動できるのですが、3台までという制限がある上、同時に複数の端末に存在できないようになっています。これはありがたくない。もしかするとDRMがきついからこそ多数の作品を集められているという論理なのかもしれませんが...)

学生時代、(しとみ)という名字の先生がいました。何かの用事で、この先生の名前を書類に書く必要が生じたことがありました。

なにしろ見慣れない漢字なので、漢和辞典をひいて調べてみました。そこに載っている字の形を真似して書こうと思ったのです。

今思えばどうしてそうだったのか分かりませんが、その時ひいた漢和辞典では、「蔀」の字の草冠は4画(艹)につくられていました。

それで、一生懸命真似して、慣れない4画で草冠を書いたものです。「この字では草冠は4画で書くものなんだ」と思ってしまったわけです。

3画でも4画でも草冠であることには違いなく、どちらも同じであって区別する必要はないのだと知ったのは、それよりだいぶ後のことでした。

学校の国語教育では、こういうことは教わりません。まあ、致し方ないという気もします。現在一般的でない活字を学校の授業であえて見せるのは、必然性があるのかというと確信が持てません。

しかしそれでも、なんらかの形で、漢字はさまざまな形で書いたり印刷したりされることがあって、それらは互いに区別する必要はないのだということを、学校教育で示すことができた方がいいのではと思います。

文字を知るとは、具体的な形の違いにかかわらず、「同じ字」だと認識できる能力を身につけることなのだと思います。

当サイトで新しいデータを公開しました。

全国地名のローマ字表記データ」というものです。

北海道から沖縄まで、全国の都道府県、市区町村等のローマ字表記をCSV形式にまとめています。

実際にはこれは、先日公開した「長音符号つきのローマ字地名辞書」の元になっているものです。

ですので、ヘボン式・訓令式のそれぞれについて、JIS X 0213で追加された長音符号つきのアルファベットが、きちんと使われています。

このデータが何に使えるのか分からないと思われる方も多いかと思います。とりあえず、こういうデータがあるということを頭の中にしまいこんでおくと、いずれ使いみちを思いつくかもしれません。

もし、何かに使ったりしたら、こんなふうに使えたということを教えていただけると嬉しいです。

夕景の写真を撮ることがあります。

理由の一つには、朝早く起きるのが苦手だということがあります。写真雑誌などで、朝早くに撮影された写真を見て、いい光だなあと感心することがあります。でも、朝早く起きなきゃいけないとなると、「自分には無理!」と思ってしまいます。

早起きが苦手で、休日にだらだらしていると、なんやかやであっというまに夕方になってしまって、いきおい夕方の写真しか撮れなくなってしまう。というのはやや誇張気味ですが、そういう面があるのも事実です。

Autumn seashore / 秋の海岸

これは先週撮った夕景写真。神奈川県鎌倉市、稲村ヶ崎です。晴れると西の方に富士山が見えるのですが、この日は雲がかかっていました。それで海辺の景色に切り替えたのですが、なかなかいい感じの光景だったと思います。

Little samurai / リトル・サムライ

これも同じ場所。題して「リトル・サムライ」。ズボンの裾が袴のように見えるのがポイントです。

Twilight beach

これも同じ場所ですが、おととし撮ったもの。偶然、いい感じに人のシルエットが入りました。

人の後ろ姿やシルエットを入れるのが割と好きだったりします。顔が判別できないことでプライバシーや肖像権といった問題をクリアできるという実用的な意味もありますが、細部を消して抽象化することで、見る人に解釈や想像の余地を与える効果もあります。

Mt. Fuji and Enoshima island in twilight / 黄昏の富士と江ノ島

こちらは去年撮った写真。鎌倉の南、逗子海岸の日没後の景色です。冬、特に12月は雲が晴れて、富士山や伊豆半島の山なみがくっきり写ります。

Light on Enoshima / 江ノ島の灯り

逗子海岸よりさらに南側、葉山町と横須賀市の境の長者ヶ崎から見た江ノ島。三脚を使って長めに露光しています。これも去年のもの。

地域によって違うかもしれませんが、空がすっきりして、夕景を撮りやすい季節になりました。日が短いので、日没後に帰宅してもあまり遅くならないというメリットもあります。あなただけの夕景を探しに行ってみてはいかがでしょうか。

この前テレビのバラエティー番組を見ていたら、画面に映った「絆」という字が、手書き風の書体で、糸へんの下の部分を点三つの形に、つくりの「半」の点の向きが「ソ」の字の向きになっていて、なんとなく安心した気持ちになりました。

ご承知のように昨年来この漢字は大変あちこちで見かけるようになったわけですが、手書きのこの文字のつくりの「半」の部分を見ていると、ちょっとどうなのかと思うことがある。活字のように、点を「ハ」の字のように手で書いているのを見かけるからです。

「半」という字の点は、伝統的な手書きの書体では「ソ」の字の形にかかれることが多かったようです。HNGで検索すると「ハ」の字の形のものもあるので、要はどちらでも良かったのでしょう。「ソ」の字の形の方が書きやすいのではと思います。

それが、近代の活字では「ハ」形になって、これが「絆」という字の今日の活字の形にも反映されているわけです。一方、戦後の当用漢字字体表、常用漢字表では、「半」の字は手書きに多い形を反映した「ソ」形になったので、常用漢字に含まれる「半」や「伴」はそれに従うことになりました。表外字の「絆」や「拌」の活字にはそれが適用されていないということだと思います。当用漢字字体表ひいては今の常用漢字表の字体には、手書きの習慣の形が取り入れられているということです。

このへんの漢字表の字体の問題は主に活字での話であって、手書きの習慣はそれとはまた別と理解するのが良いと思います。活字の「絆」の形を細かいところまで真似して書かなければいけないということではなくて、手書きの書体の習慣に従えば良い。活字で「ハ」形のものを手書きで「ソ」に書いてもいいし、手書きの「ソ」形に書かれた字を活字では「ハ」形にしてもいい。

去年から、街に貼ってある某政党のポスターが気になっていました。手書き風の書体なんだけれども、「絆」の点の向きが活字体と同じになっている。もちろんそれが間違いということは全然ないのだけど、活字体に引っ張られているのだとしたら残念な気がするわけです(あくまでも私の主観です)。

ところが、選挙が近くなった最近、テレビで同じ政党の政治家が会見しているバックの壁に、同じ「絆」という字が書かれているのですが、手書き風の書体で、点が「ソ」の字の向きになっていることに気付きました。この一年で文字に対する理解が進んだのか単なる偶然なのかははっきりしませんが、この政党に対する好感度はちょっとだけ上がりました。

例えば、終了という意味の英単語といってまず思い浮かぶのは、中学生どころか小学生でも知っている「end」ではないでしょうか。しかし、ソフトウェアを「終了」するメニューやコマンドは普通、「exit」や「quit」といった言葉が使われます。決まり文句であるわけです。

日本人は英語が苦手だとよくいわれますし、それは実際そうなのでしょうが、こうした決まり文句を知っているだけで解決する問題も少なくないのではないでしょうか。

西野竜太郎『アプリケーションをつくる英語』(達人出版会)は、アプリケーションソフトウェアにおけるこうした英語の決まり文句を教えてくれる本です。

アプリケーションのユーザーインタフェースやメッセージに使われる英語について、こういうときはこういう言葉を使うという、定石というべき表現が解説されています。ソフトウェアを開発する人には、ぜひ活用してほしいと思います。

ログイン画面に何と表示するのか、入力フォームのラベルや注意書きは、エラーメッセージをどう書くか......など、場面に応じた表現が、例文つきで紹介されています。こういうのは、悩むよりも例文を真似した方が早いですね。

単に英語の一般的な意味や書き方だけでなく、著名なOS等で使用されているスタイルについて解説されているのも参考になります。例えば、入力値が間違っているときのエラーメッセージとして「illegal」という表現が使われることがありますが、あるベンダのガイドではこの言葉を避けてincorrectなどの言葉を使うよう推奨しているということです。また、単語の先頭を大文字にするcapitalizationの規則など、普段あまり気にしないようなところ(しかし英語に慣れた人には気になるところ)の説明もなされています。

英語が苦手な人はもちろん、英語をよく話す人にとっても、ソフトウェアにおける標準的な言い回しやユーザーインタフェース上での表記のスタイルを知るために有益だと思います。

本書は電子書籍として、PDFとEPUBのフォーマットで提供されています。ですから、PCの上で、EclipseやEmacsといった開発環境を開いているのと同じ画面で、参照や検索をすることができます。これはとても便利ですね (紙で読みたければ、紙版がインプレスジャパンから発行されています)。DRMがかかっていないので、書籍が自分の端末から遠隔消去されてしまうということもありません。購入者の情報がファイルに埋め込まれるソーシャルDRM方式なので安心です。

個人的なことですが、達人出版会は私の学生時代の先輩がやっている会社なので、私情の面からも(?)応援したいと思います。

こちらのITmediaの記事も興味深いです:

去年よりも多く

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プログラマのための文字コード技術入門』の版元である技術評論社さんからの郵便物を整理していて気付いたのですが、この本の最近半年間の部数は1年前の同じ時期よりも多かったようです。ありがたい!

本というのは最初に一番多く売れて、後は減っていくものだとなんとなく思っていたのですが、こういうこともあるのですね。嬉しいことです。

お読みいただいた方々に感謝するとともに、まだお読みでない方にも、興味があればぜひ手にとっていただきたいと思います。いろいろな人が、面白かったとか役に立ったとかいってくれていますので。

本書がもうすっかり、必要とする人のもとに行き渡ったかというと、そうではないと思います。これから新たな読者に恵まれることも、楽しみにしたいと思います。

そしてまた、年内の著者の取り分が確定したので、震災被災地支援プログラムによって、取り分の一部を福島県に寄付したいと思います。福島県のウェブサイトをチェックしたところ、どうやら被災地向けの寄付金の受付の案内はなくなってしまったようです。多分、ふるさと納税の枠組みで寄付すればいいのだと思います。

田中克彦『名前と人間』(岩波新書)は、私の感想ではとてもユニークで面白い本で、今まで気付かなかった点を教えてくれる本でした。「でした」と過去形で書くのは最初にこれを読んだのが大体15年くらいも前のことだからです。奥付を確認すると1996年の発行となっています。

何が一体それまで気付いていなかったかというと、名前、固有名詞もまた言葉であるということです。何を当たり前のことをと思われるかもしれませんが、例えば「ヨシヒコ」という名前は、なにか宙に浮いたような、他から独立した存在ではなく、日本語という個別の言語に属する言葉であり、おそらくは現代の、男性の名前であると分かる。

名前というのは個人のアイデンティティだみたいに思う風潮があるかと思いますが、実際には帰属を示す役割をしているわけです (昨今の「個性的な名前」は、「個性的だと思われたい親の願望」を分かりやすく示しており、容易に類型化される)。「固有名詞は、論理学者が言うようには、同類の他の個体からの完全な孤立を実現してはくれないのである」(著者)。

固有名詞が日本語文法の議論において話題にならないことを著者は指摘します。これは日本語文法では固有名詞の扱いが普通名詞と変わらないからであって、外国語ではそうとは限らないことを例を挙げて示しています。英語なら、固有名詞にtheがつくとかつかないとか、あるいは(「固有」名詞なのに)複数形になるとか。著者は具体例までは挙げていませんが、フィリピンを "the Philippines" のようにいうことを指しているのでしょう。"the Netherlands" というのもありますね。また、ロシア語では、人の名前も格変化するのだそうです。これでは、固有名詞も文法に従う言葉であると、いやでも意識せざるを得ないでしょう。

そしてこれは私の考えなのですが、名前が言葉であるなら、名前の表記は普通の言葉に準ずると考えるのが適当ではないでしょうか。名前も言葉であり、名前を記す文字は普通の言葉を表す文字を用いるものであって、通常の言語表記の文字から隔絶したものとは考えられない。

さて本書に戻ると、モンゴルやロシアなど普段あまり馴染みのない国の、肩の凝らない面白いエピソードがあるので、そういうのを楽しむのも良い読み方です。子供に個性的な名前をつけたいとか国際性のある名前をつけたいとか願っている人はこういうのを参考にしてみるといいのではないでしょうか。ロシアの、日本語にすると「名無し」さんという意味の名前だとか、「祖国無し」さんだとか、モンゴルの「悪いイヌ」さん、「これじゃない」さん、「うんこまみれ」さん、などなど。「悪魔」という意味の名前もあるそうで、悪魔除けの意味があるだろうという著者の推測です。

新しい仮名漢字変換辞書の公開を当サイトで始めました。いや、仮名ローマ字変換辞書というべきでしょうか。

長音符号つきのローマ字地名辞書」というものです。

これはどういうものかというと、「とうきょう」と打って変換キーを押したら「Tōkyō」が出る、「きょうと」から「Kyôto」が出る、といった具合のものです。

私はよくFlickrに写真を公開するのに、写真を撮った場所などの説明を日本語と英語の両方で記しておきます。Flickrでは外国人から英語のコメントをもらうこともある、というか、日本語よりも多いくらいです。

ここで、入力する日本語は普通の仮名漢字混じり文なので問題ないのですが、英語の方は、地名をローマ字で「Tōkyō」のように記しておきたいわけです。「ō」のような文字は第3第4水準辞書で入力できるけれども、この操作で単語を入力するのは正直面倒くさい。

それで、いっそ、仮名漢字変換の要領で「とうきょう」から「Tōkyō」が出てくればいいじゃないかということで、こういう辞書を作ったわけです。(例に挙げた「東京」は長音符号なしの「Tokyo」が英語として通用しますが、それはここでは関係なく、日本語表記としてのローマ字を入力したいわけです)

仮名からローマ字に変換するという、いささか変わったものになっています。普通、逆だろうと思いますよね。ただ、仮名漢字変換という枠組みを利用して入力しようとしたら実用的なものじゃないかと思います。地名のローマ字を入力する機会のある人は、試していただけると嬉しいです。私以外に使いたいと思う人がいるかどうか、疑問に思わないでもないですが...。

辞書は、ATOK用、Anthy用、SKK用を用意しています。

私たちが文字や文字コードについていろいろ知るのは何のためなのかということを時々考えます。

知識や技術を増やすというのは、一般的には、それを世の中に役立てるということが目的だといえるでしょう。

文字というのは第一義的に言語を記すためのものですから、言語表記を円滑にする、言語表記であまり悩まなくていいようにするということが大事であると、私は考えます。

文字は言語を記すためのものであり、言語は思想や情報を伝えるためのものであるというのが原則でしょう。ですから、文字そのものよりもそれによって記される言語が大事であり、言語そのものよりも思想や情報の伝達の方が大事であると、一般的にはいえると思います。文字コードに至っては、文字をビット組合せで表現するための情報通信技術上の決め事でしかありません(誤解されることもありますが、文字コード規格は文字や字体の規範ではありません)。

言語表記の手段であるということはつまり、文字というのは意味や読みを伝えるための手段であるということです。そのことを忘れて、意味や読みを無視した単なるロゴマークのようなものだと思ってしまうと、文字の本来の姿からはかけ離れてしまって、運用も無意味に複雑化してしまうのではないかと心配します。

19世紀に我が国が近代化の必要に迫られてから、文字をどうすべきかというのはたびたび問題になりました。日本の郵便事業の父である前島密のように漢字を廃止すべきという主張をした人もいましたし、ローマ字や仮名文字を国字とすべきだという運動もありました。文字にとどまりません。近代的な教育制度を整備した文部大臣の森有礼のように日本語をやめて英語を採用すべきだとか、作家の志賀直哉のようにフランス語にすべきだという主張もありました。

しかし私はこうした急進的すぎる考え方にはあまり賛同できません。日本語表記としての漢字には、造語能力の高さや、日常語と高級語彙を結びつける役割があり、漢字をなくすとそういう長所を捨てることになってしまいます。例えば「スイトウショウ」という言葉は難しい専門用語ですが、「水頭症」という字面を見れば、ともかく何らかの症状・病気の類であることは分かるし、頭と関係がある、水と関係がありそうだということも分かる。学問的に正確でなくとも、理解や記憶の手がかりは得られるわけです。漢字にはそういう長所があって、現代の日本語はその長所の上に成り立っているということがいえると思います。

漢字のいいところは残しつつ、良くないところを抑制するような文字運用、言語運用をしていくことが肝心であると思います。

漢字の良くないところには、特に日本語表記を前提としてのことですが、同音異義語が多いなどで、字を見ないと分からないことがあることが挙げられます。私はこの前ある講演会で「サイショク」という言葉を聞いたのですが、これが何のことかすぐには分からず、「菜食」、ベジタリアンのことだと分かるのに随分かかりました。字を見れば分かるというのは便利である半面、見ないと分からないというのは不便でもあるわけです。

また、書くときにも、どの字だったか分からない、ということがよくあります。単に漢字をど忘れしたということもあれば、本来の日本語(固有語、大和言葉)と漢字との意味範囲の違いによって使い分けに悩むということもあります(図る、測る、量る、など)。分からなさが甚だしいのは固有名詞とりわけ人名の場合で、自民党総裁のアベさんは「安倍」で、読売巨人軍の捕手のアベさんは「阿部」だとか、そういうややこしいのが無数にあるわけです。上に記した志賀直哉にしても、白状すれば、ナオヤの字がどれだったか分からないので平仮名で検索した結果をコピペしていたりします。

そういう、円滑な言語運用を妨げる要素は、ゼロにできないにしてもなるべく抑制していく、少なくとも今以上にややこしくしないというのが、これから大事だろうと考えるわけです。

【追記: 日本語における漢字の長所については、鈴木孝夫『日本語と外国語』 (岩波新書)を参照。】

もう十日ぐらいも前になりますが、宮城県は鳴子峡に、紅葉を見に行ってきました。

実際には紅葉の一番の盛りよりは少し前のタイミングになりました。宿を予約する時点では、いつが一番いい見頃かを予見するのはなかなか難しい。であれば、予想外に紅葉が速く進展して、葉が散って寂しくなってしまうよりは、まだ緑の葉が残っているくらいの方がいいのではないかということで、少し早めにしてみました。

Naruko Gorge / 鳴子峡

これが鳴子峡の一番ポピュラーな展望スポットから見た図。よく観光ポスターなどの写真に使われている場所です。まだ緑っぽい葉も多いですが、赤黄緑とカラフルになりました。ただこの日は雨だったのが残念。

Naruko Gorge from a bridge / 鳴子峡、橋の上から

先の写真に写っている橋の上から見た図。深い谷になっているのが分かります。

Naruko Gorge / 鳴子峡

新展望台と看板のかかっているところから見た図。秋ですね。

Strolling in autumn

本来は鳴子峡の下の方を歩く遊歩道があるのですが、工事か何かのために今は立ち入れなくなっています。その近くに大深沢遊歩道というのがあって、そちらを散策しました。こちらは峡谷に比べると紅葉の進み具合は遅れているようでした。とはいえ、ほどよい長さと、舗装はされていないけれども歩きやすい道で、快適に散歩を楽しめました。

Taking a rest / ひとやすみ

ところどころにこうしたベンチが設置されていて、休むことができるようになっています。親切ですね。

JIS X 0208/0213の波ダッシュ「〜」(面区点1-01-33、SJIS 8160)はUnicodeではU+301C WAVE DASHが相当します。ですが、これをU+FF5E FULLWIDTH TILDEにうつしてしまう実装があって、以前から問題になっています。

以前のWindowsに同梱のフォント、Windows XPまではそうだったと思いますが、MSゴシックなどではWAVE DASHのグリフが通常とは位相が逆になったような形になっていて、表示されると違和感がありました。これはUnicode仕様の例示字形がそうなっていたためですが、Windows Vista以降に同梱のフォントでは一般的な波ダッシュの形に直りました。

ただ、FULLWIDTH TILDEも同じような(あるいは全く同じ?)デザインになっているので、どちらのコードが入力されているのか、見た目に区別がつきません。

それで思うのですが、U+FF5E FULLWIDTH TILDEのグリフを、上付きというか、上に寄った形にできないものでしょうか。

そもそもtilde (チルダ、チルド、等)というのは、「ñ」のようにアルファベットの上につけられる記号です。ですから、上寄りにすることには十分な理由があります。

使っているフォントにもよるでしょうが、私のEmacs環境では、WAVE DASHは一般的な波ダッシュの形で、FULLWIDTH TILDEは全角幅で上寄りの形で表示されます。これなら、自分が適切なコードを入力しているかどうかがはっきり分かるわけです。これが良い。

MS Pゴシックやメイリオ、IPA PゴシックなどのU+FF5Eのグリフだけ差し替えるようなプログラムとかあればいいんじゃないかなと思うのですが、そういう素敵なものを作っている方はいないでしょうかね。

沖縄県の尖閣諸島を巡る中国の問題が注目を集めると、ソニーの電子書籍ストアReader Storeで池上彰『そうだったのか! 中国』がランキングの上位にきました。今年出た本ではなく、元は2007年に出版されたもののようです。

中国史というと、史記や三国志といった古代の歴史物語のイメージが強いと思います。そうしたお話は、昔から日本人の教養の一部であったものです。しかし、今日の中国の姿を理解するのにそれがどれくらい役に立つのかというと、疑問を覚えずにはいられません。

なまじに漢文が読めて、古代のお話や神話に近いことまで知識があったりすると (私は学生の頃は中国史オタクでしたから、そういうのに引かれる気持ちはよく分かります)、かえって現実の中国の姿からは遠ざかってしまうかもしれません。

幕末か明治の頃、江戸時代の漢文の教育で中国を知ったつもりになった日本人がいざ中国に渡ってみると、抱いていたイメージとの落差に愕然としたという話もあります。

現代の中国を知るには、あまり古いことはともかく、近現代史の基本的な知識をおさえておくのが良いのではないでしょうか。だいたい学校の授業では日清戦争、辛亥革命くらいまでは教わっても、その後は日中戦争の説明くらいで、中華人民共和国という今日の国家がどうやってできてどんな歩みをしてきたかについてはあまり詳しく触れないことが多いと思います。

私はまだこの本を読んでいないので確たることは言えないのですが、書店で少し立ち読みしたところではなかなか良さそうに思えました。

中国についてはいろいろな著者がいろいろなことをいっているわけですが、まずは現代史の基本的な事項を理解することが必要だろうと思います。

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