「みんなの意見」はやっぱりあぶない

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他人の意見に振り回されてばかりいる人がいる。誰それさんが何と言っていた。何という文章に何と書いてあった。他人の意見、時流に乗っていると思われる意見を自分の意見にする人である。こういう人は世間の流行に実に流されやすい。というか、流行の言説以外に自分の意見がないという方が正確であろう。

以前『「みんなの意見」は案外正しい』、という本があって、その内容を誤解した人がしきりに「みんなの意見」という言葉を振りかざしていた時期があった。みんなの意見を集めてきて意思決定する仕組みが必要だというのである。そんなのは流行の言説に付和雷同する人の発想である。実はくだんの本で言っているのはむしろ逆の話であって、他人の意見や世間の流行とは独立して考える人の判断を多数集めると不思議なことに正解に近付く、ということを言っていたものである (のだそうだ。私はこの本を読んでいない)。だから、流行に付和雷同する人を集めるのはかえって真実から遠ざかるということになる。大体が、「みんなの意見」が正しいのだと言われて何の危機感も覚えない人というのはどこかおかしい。みんなの意見に乗っかる以外のことを何もしていない人であろう。ちなみにこういう人は、みんながくだんの本を忘れてくると、自分自身もそれにあわせて「みんなの意見」と言い出すのをやめていったようである。

みんなの意見ばかり気にするのは、自分の中に大切なものがないからである。大切な価値観、大きく言えば倫理というようなものがあれば、それが思考の軸となる。自分の価値観がなければ、他人の意見を集めてくるくらいしかすることがない。

なら自分の価値観がありさえすればいいかといえば、そういうものでもない。間違った価値観、信念を持ち続けていたのでは不毛であり有害である。9・11テロの実行犯は強固な価値観を持っていたのだろう。自分の中にある価値観が、普遍的に良いとされるものであるかどうかをよく吟味して適宜修正しなければならない。

当ブログの初期の記事、「やなせたかしの正義」は人気がある。これは、第2次大戦の敗戦を通じて世間的にいわれる正義などというのが実に頼りないものであることを痛感したやなせ氏が、時代や国を超えた普遍的な正義を自分なりに考えた話である。流行の言説を追いかけるのとは真逆の話だ。

小手先のテクニックでなしに、何が本当に大切なのか、なぜそれが大切なのか、という問いを自分に向けて発し続ける必要がある。何が大切かという価値観を作るのは教養であろう。いま大変にないがしろにされている分野である。

流行の言説に振り回されずに大切なことを考えるのには、Twitterのようなものは不向きであろう。騒がしい情報を遮断して、人の少ないところにいた方が、大切なことを考えるのには向いているかもしれない。

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