2011年10月アーカイブ

ウェブは進化している。そう思っている人が、たぶん多いのでしょう。確かに、15年前の素朴なウェブページと今のものとはいろいろ違って見えます。

しかし、ウェブの根本的な考えである「ハイパーテキスト」という機能の面から見ると、ウェブの登場以来、あまりというかほとんど進化していないように思えます。

ハイパーテキストを提唱して有名なのはテッド・ネルソンです。著書『リテラリーマシン』は日本語にも翻訳されています。ウェブの開発にもネルソンのアイディアが影響していると何かで読んだことがあります。しかし、ネルソンが構想していたものに比べると、ウェブで実現されているハイパーテキスト機能は貧弱なものです。

例えば、ウェブで他の文書を引用するときには他のページからコピー・アンド・ペーストするという原始的な方法をとります。一方ネルソンの唱えるハイパーテキストでは、高度なリンク機能を使って、コピーではなくオリジナルの文書の一部そのものを挿入するとされています(「トランスクルージョン」)。ウェブでリンクというと単に他のページへのジャンプしかできませんが、ハイパーテキストの議論の中には、文書の断片同士を組み合わせて新たな創作を可能にするような高度なリンク機能が考えられているのです。

そうした、高度なリンクのようなハイパーテキスト性の実現は、今日のウェブの発展の中にはありませんでした。単なる片方向のジャンプでないリンク機能としてXLinkという仕様が考案されたこともありましたが、XBRLをほぼ唯一の例外として、実装上は顧みられていません。

ウェブの発展というのは、ハイパーテキストの機能を高めることでなく、例えば、Javaアプレットで動くホームページを作るとか、Flashで動くホームページを作るとか、DHTMLで動くホームページを作るとか、Ajaxで動くホームページを作るとか、HTML5で動くホームページを作るとか、大体においてそういう方面に関心が向けられてきました (今の人は動くホームページなんていうダサい言い方はしませんが)。

大体が、リンク先のファイルをリネームしたら即座にリンク切れとなるような原始的なシステムがそのまま温存されているということからも、ハイパーテキストとしての機能が重視されていないことが分かるというものです。

電子書籍が話題になっていますが、ここでもハイパーテキスト性は軽んじられています。というか、ウェブよりも退化しているといえるのではないでしょうか。私は世の中の電子書籍の機能を全部知っているわけではないので見落しがあるかもしれませんが、聞き及ぶ限りでは、いくつもの電子書籍がハイパーテキスト的に結ばれて自由にテキスト間を行き来できるという機能はないようです (少なくとも、広く話題にはなっていません)。世の中の関心はそれよりも、紙の本の見栄えを画面上に忠実に再現することにあるようです。

電子書籍が「アンビエント」(ambient, 包囲した、取り巻く)だといった本がありましたが、その言葉は真のハイパーテキスト環境のために取っておくべきだろうと思います。たかが無線インターネットで電子書籍を買えるだけのことでアンビエントとは言い過ぎでしょう。

ハイパーテキストの考え方はネルソンよりも前、ヴァネヴァー・ブッシュの論文 As We May Think (1945) にも遡ることができる、決して新しくないアイディアです。それだけ普遍性の高いアイディアだともいえるでしょうが、今のところ十分に顧慮されているとはいいがたいように思います。

先日25日、警察庁が、自転車の車道走行の原則を徹底するよう全国の警察本部に指示したことがニュースとなりました (例: 時事ドットコム 自転車の車道走行徹底へ=ルール違反是正へ摘発強化−警察庁)。

もともと、自転車は車両の一種であり、本来は車道を走るものでした (本当は今でもそうです)。しかし、1970年代に自動車が急増したことを受けて歩道走行を例外的に特定の歩道で認めるようになり、そこからなし崩し的に自転車の歩道走行が横行するようになっていました。

今回の警察庁の指示は良いことだと私は思います。

しかし、自転車で車道を走るのは怖いと思っている人も多いでしょう。私もかつてはそうでした。

そこで、自転車が歩道を走ると何が問題なのかを簡単にまとめてみましょう。直感的に怖いと思うのと、実際上の危険とは、必ずしも一致しません。

  1. 歩行者への危険。交通は弱者優先の原則が守られるべきです。すると、歩道は交通弱者である歩行者のためにあるということになります。歩行者の中には、ベビーカーや視覚障害者もあります。自転車の歩道走行はこれら交通弱者に脅威を与えることは明白です。弱者保護のために、自転車は歩道を走らず、車道を走ることが必要です。
  2. 自転車の交通事故の危険。意外かもしれませんが、自転車の歩道走行は、自転車と自動車との交通事故の原因となります。なぜなら、自転車の交通事故の多くは交差点で起きていますが、自転車が交差点を渡るには一旦歩道から車道に出なければなりません。歩道上の自転車は車道の自動車から認知しづらいため、出会い頭の事故の原因となるのです。自転車自身の安全のために、自転車は歩道を走らず、車道を走ることが必要です。
  3. 進行方向の不明確さ。自転車通行可能な歩道上では、歩道の車道寄りを走ることが求められていますが、この規定自体に問題があります。「対面通行、かつ、常に車道寄り」ということは、車道寄りの歩道で自転車同士が正面衝突を起こしてしまいます。正しく自転車通行をマネージするためには、進行方向をはっきり決めなければならないのに、歩道走行ではそれが完全に欠落しています。一方、車道ではもちろん、自転車は左側通行であることは明確です。歩道上の自転車の混乱を避けるために、自転車は歩道を走らず、車道を走ることが必要です。
  4. 自転車本来の走行能力の発揮。自転車は誰でも時速20km以上で走ることができますが、そんなスピードで歩道を走るのは危険です。道路交通法では、自転車通行可能な歩道を走る場合は徐行するように求められています。つまり、法律上も実際上も、歩道では自転車本来の走行能力を発揮することはできません。自転車本来の能力を活用するために、自転車は歩道を走らず、車道を走ることが必要です。

これだけのことを理解すれば、自転車が車道を走るべきであることは十分納得されるのではないでしょうか。

もちろん、車道の自転車レーンの整備を進めることも大事です。これはおおいにやっていただきたい。けれども、自転車レーンができるまでは車道を走らないというのは極端すぎる。その間、上記のような問題に手をつけられないことになってしまいます。自転車で車道を走りつつ、自転車レーンの整備も行うという、両方を同時に進めることが大事でしょう。

車道を走るのが怖いというのは、多分に慣れの問題があると思います。肝心なことは、進路変更のときに必ず後方を確認すること、必要に応じて手信号で後続車両に進路変更を知らせることです。

大阪府知事の橋下氏が「大阪都」構想というのを言っています。主張はある程度分かるのですが、これは我が国が大都市制度をきちんと整備してこなかったためのもので、大阪だけの問題にしてはいけないと私は思います。

そこで、以前から妄想してきた五都制というものを、今こそ開陳しましょう。

今は何でも東京に一極集中していますが、これはもうやめたい。それで地方分権だとか道州制だとかいわれていますが、一向に先に進む気配がない。

それで、考え方を少し変えて、我が国の5つの大都市圏を「都」として編成してはどうかというのが私のいう五都制です。

まず、大阪・神戸・京都を一体化して「阪神京都府」とし、政治上の首都とする。そのうえで、以下の4つの都も設ける。これらの「都」は、中核となる都市とその周辺都市をまとめて効率的に管理運営する。

  • 北京(ほっけい)札幌府: 欧米向けビジネスの拠点。都市圏人口約250万。
  • 東京(とうけい)江戸府: 国内向けビジネスの拠点。都市圏人口約3000万、世界最大の都市圏。
  • 中京(ちゅうけい)名古屋府: 製造業の拠点。都市圏人口約500万。
  • 西京(せいけい)福岡府: アジア向けビジネスの拠点。都市圏人口約350万。
五都制

アジア史に詳しい方はピンとくると思うのですが、この命名は、中世にモンゴルから中国北辺を支配した遼の五京をヒントにしています。

札幌は空路で行くと欧米に近いし、福岡はアジアに近い。こうした地域特性に応じた拠点とするわけです。現状では人口が東京江戸府にかなり偏っていますが、グローバル企業を北京札幌府や西京福岡府に移すなどすればそちらに人口を流すことができると思います。

地域分割論ばかりが先行する道州制議論に対して、こうした大都市圏を核とした議論は一石を投じるものになるだろうと思います。

東日本大震災によって東京集中の弊害が意識されるようになりましたが、地域分散、バックアップという意味でも、この五都制は有効に働くだろうと思います。

(とここまで書いたところで、既に似たような発想が書かれたウェブページがあるのを発見してしまいました。これでは二番煎じのようになってしまうので公開をやめようかとも思いましたが、重視する観点が微妙に違うようにも思いましたので、これはこれで公開することにします)

PCの壊れやすさ

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私は自宅用のPCとしては、デスクトップ型とノート型の2台のPCを使用しています。デスクトップ機としてはショップブランドのOSがインストールされていないPCを購入してLinuxを入れて使っています。ノートは、国内メーカー製のWindows機をそのまま使っています。ここ10年、この体制を続けています。

それで気付いたのですが、デスクトップPCは何度か修理に出していますが、ノートは壊れたことがありません。型が古くなって買い換えたことはありますが、修理に出す必要があったことはないのです。

デスクトップは、マザーボードの異常だったり、電源がおかしかったりと、この10年の間に数回修理に出しています。PCは代替わりしてショップも変わっていますが、トータルで3、4回くらいでしょうか。また、修理から帰ってきたものの様子がおかしいので再修理に出したこともあります。

ごく個人的な体験にもとづいての判断ですが、やはりメーカー製の方が品質が高いのでしょうか。

メーカー製の品質で、OS無しのモデルを出してくれると個人的にはニーズに合うのですが、そういうのはなかなか無さそうですね。

2008年の北京オリンピックの開催の前、中国政府によるチベットの人権問題に関して、IOCの会長が、中国は建国60年の若い国なのだから大目に見てやることも必要だ、という主旨のことを言っていたのを覚えています。そんなので大目に見ていいのかというツッコミは当然ありますが、ここでは「60年の若い国」というところに注目してみます。

中華人民共和国の建国は1949年ですから、この認識は合っています。何の間違いもありません。

ですがそれなら、俗にいう「中国四千年」というのは何なのでしょう。60年と4000年ではあまりにも違いすぎます。中国の歴史は60年なのでしょうか、4000年なのでしょうか、それともまた別なのでしょうか。

これを考えるには、「中国」という言葉をひとまず忘れるのが良いと私は思います。

歴史上、「中国」という国家があったことは一度もありません。これは厳然たる事実です。このことは、天皇を戴く日本という国家が、短く見積っても1300年以上続いているのとは対照的です。

現在あるのは中華人民共和国という国家です。前述の通り1949年に成立した、約60年の歴史を持つ国です。

「中国」という言葉は、中華人民共和国あるいは中華民国の略だと思っている人もいると思いますが、成り立ちからいうとそうではないようです。

チャイナの意味で「中国」という言葉が漢民族の間で使われるようになったのは、19世紀末か20世紀始めの頃のようです。100年かそこら前に発生した、割と新しい言葉であり、概念なのです。古い漢文に「中国」という字の並びが現れるとときは、それはチャイナの意味ではなく、国の真ん中のことを指しました。

漢民族の住む土地のことをヨーロッパ人はチーナとかヒーナとか呼び、日本人は支那と呼んでいることに、漢民族は19世紀に気付きました。そして、漢とか宋とかの国の変遷にかかわりなく通時的に漢民族の土地を指す言葉を、当の漢民族が持っていないことに気付きました。そこで、「中国」という言葉をそうした意味に使うことにしたのです。(こうして生まれた「中国」という概念の地理的な範囲はどこからどこまでなのか、というのがまた大問題なのですが、それはまたいつか)

ですから、チャイナの意味での「中国」という言葉が生まれてからの歴史は、約100年ということになります。

もっとも、「中国」という言葉が生まれた背景には、漢民族の通時的な民族意識があった筈です。過去に遡って「中国」という言葉を適用するならば、それは「漢民族の土地」とほぼ同義になるでしょう。漢民族の土地には、紀元前221年に秦の始皇帝が最初の統一帝国をうちたてて以来、さまざまな皇帝が君臨してきました。「皇帝の君臨する土地」という見方をするならば、中国の歴史は紀元前221年に始まることになります。

さらに遡って、単に漢民族が住んできた土地のことをいうならば、それは3000年とも4000年ともいえるでしょう。(もっとも、民族という言葉は取り扱い注意なので、今日でいう漢民族が4000年前からあったと断言していいのかは、判断がためらわれます)

あるいは、漢民族の国という観点で見るなら、モンゴル帝国に支配されていた13世紀から14世紀と、満洲人の清に支配されていた17世紀から20世紀始めまでは、中国がなかったというふうにも言えるでしょう。

いろいろ書きましたが、簡単にまとめると、「中国」という言葉の指すところは定義次第で何とでも言えるので、どの意味で言っているのか注意が必要ということです。

このところ、電子書籍端末Sony Readerに関係するニュースがいくつも入ってきています。

まず、新モデルの発売。無線LAN対応モデルが発売され、無線LAN+3G対応のモデルも11月発売予定となっています。

電子書籍としての機能は前のモデルとあまり変わりないようで、従来モデルと併売となるようです。

続いて、楽天の電子書籍ストア「Raboo」がSony Readerから利用できるようになるという話。

Rabooは全然見たことがないのですが、選択肢が増えるのは良いことじゃないかと思います。

それから紀伊國屋も。

紀伊國屋の電子書籍ストアはよく知らないのですが、選択肢が増えるのは良いことじゃないかと思います。

どちらも、PCでウェブサイトから購入してUSBで転送するという形になります。操作が面倒でないといいのですが。

こうした動きは利用者として歓迎すべきだと思いますが、その一方で、電子文庫パブリやhontoのようにDRMフリーのXMDFの販売をやめるところが出ているのは気になるところです。

Readerのニュースではありませんが、今日報道されたところでは、アマゾンがついに日本で電子書籍をやるということです。(アマゾンからの正式な発表ではありません)

こういう動きがあるのでソニーが急いで普及を狙っていたのでしょうか。

ビジネス的にどちらが勝者となるかはわかりませんが、利用者の利便性を重視した方向に動いてくれると良いと思います。

先週末、青森県の奥入瀬渓流に旅行に行ってきました。

週末の何日か前から、土日は広範囲に雨だという天気予報が出ていたので、その面であまり期待はしていませんでした。晴れていれば、三脚を構えてシャッタースピードを遅くして渓流を格好良く撮影してやろうと思っていたのですが、雨みたいだから三脚いらんだろう、と、家に置いていきました。

ところが、どうしたものか、土曜日の昼にはもう、長く伸びた雨雲は青森を抜けてしまっていました。ああ、それなら三脚持ってくるんだった。もっとも、もっと小さな雨雲が通っていったようで、時おり雨が降ったりやんだりしていました。

紅葉の季節

奥入瀬渓流の近くのホテルの廊下の窓から見えた紅葉です。奥入瀬渓流自体の紅葉の盛りはもう少し先という感じでしたが、この位置からは綺麗な色が見えました。

朝のテーブル

ホテルの外に用意されていたテーブルと椅子。天気が良ければこういうところで飲食するのは気持ち良さそうです。

奥入瀬渓流

渓流。雨が降ったのでちょっと水が多めかもしれません。

奥入瀬渓流

倒木に苔むしているのがそれっぽいです。

奥入瀬の滝(1)

木々の間に滝があるのが分かるでしょうか。

奥入瀬の滝(4)

また別の滝。滝にはそれぞれ名前がついているのですが、たくさんあるので忘れてしまいました......。これは九段の滝かな?

銚子大滝

銚子大滝。渓流散策のクライマックスです。

銚子大滝と虹

銚子大滝に虹が見えました。わかるでしょうか。

移動にはバスを利用しました。バスは本数が少ないので、事前に予定をきっちり立てておく必要があります。ですが、皆が自家用車で行ってしまうと渋滞しますし、車を停めるにも不便ですから、バスの方が良いでしょう。

今回は利用しませんでしたが、レンタサイクルを提供している所もあります。奥入瀬渓流は全長約14kmと、自転車で走るには丁度良い長さです。

奥入瀬の美しい自然を末永く残す意味でも、バスとか自転車とかのエコな交通を利用するのがいいと思います。

夜明けのこころ

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最近出版されたダライ・ラマ14世の本から2冊。

夜明けの言葉』。ダライ・ラマがあちこちで語った言葉をまとめたもの。短い文章を集めたものなので、どこから読んでも良い。こうした形式の本はこれまでにも何冊か出版されています。一冊持っておくと良いでしょう。何に良いのかは、自分で発見してください。

この本に限りませんが、ダライ・ラマが世界に向けて語る言葉というのは、仏教徒限定でもなければ、仏教徒に改宗することを勧めているものでもなく、ごく世俗的な一般的な人々を想定しています。それでいて仏教のエッセンスに基いています。従って、仏教への理解度に応じて様々な読み方ができるものだと思います。

書名の「夜明け」というのは大震災を意識しているのかもしれません。が、本の中には特に明示されていません。

本書にはチベットやブータンの美しい写真が多数掲載されており、目を引きます。

続いてもう一冊。

ダライ・ラマ こころの自伝』。過去の様々な演説などをまとめたもの。編者はフランス人。子供時代の思い出から、平和への呼びかけ、地球環境問題、そして中国によるチベット侵略に対する告発、その解決のための提案などにわたります。

中でも後半、チベットを占領して動かない中国の政策に対してのいくつもの演説は、絶望的な状況の中であくまで平和的な解決を訴え続ける姿勢に感動せざるを得ません。確かにこれはノーベル平和賞に値するといえます。

チベット問題やダライ・ラマをよく知らない人も含めて、是非多くの人に手に取ってほしい一冊です。

先日、アップル社のスティーブ・ジョブズ氏が亡くなったというニュースが世界を駆け巡りました。様々な報道に接して、彼の与えた影響力の大きさを改めて感じます。

日経ビジネスオンラインが、ジョブズの過去のインタビュー記事(2001年)を取り上げていました。その中に気になるくだりがありました。引用してみましょう。下記の「答」がジョブズによるものです。

 新型の基本ソフト(OS)である「マックOS X(テン)」は、普通のパソコンやワープロでは表示できない基準外の漢字も数多く装備している。まずその理由からお聞きしたい。

 簡単な話さ。人々がそうした文字を使うからだよ。もし、あなたが「すしレストラン」を経営しているとしよう。今、普通に使われているパソコンでは、あなたは店のメニューも作れない。すしネタを表す漢字が揃っていないからね。

人々が普通に使っている文字なのにパソコンで表現できないとしたら、それは良いことであるはずがない。

私の記憶では、MacはOS Xになったときから新JIS漢字 (JIS X 0213) の文字に対応し、文字コードとしてShift_JISX0213にも対応してきました。ここで述べられているのはそのことを指しているのでしょうか。当時は新JIS漢字への対応はまだ珍しかったので、質問者の「普通のパソコンやワープロでは表示できない基準外の漢字」という表現になったのかもしれません。

だとすれば、スティーブ・ジョブズは新JIS漢字の必要性を理解していたのでしょう。

「人々が普通に使っている文字なのにパソコンで表現できないとしたら、それは良いことであるはずがない」というのは、まさにJIS X 0213の作られた理由です。

ジョブズは日本食もよく食べていたそうですが、(かます) (第4水準、2-93-37)や(せいご) (第4水準、2-93-41)といった魚にも親しんでいたのでしょうか。

(【2011/10/13追記】Twitterで、Mac OS XがJIS X 0213に対応したのは10.3 (2003年)ではないかというご指摘をいただきました。よく考えてみるとこのインタビュー当時はまだUnicodeにJIS X 0213の文字が全部は入っていなかったので、内部コードにUnicodeを使うOS XがJIS X 0213に完全に対応していたわけではなかった筈です。ただし、2000年のOS X発売前のアップル社のインタビュー記事を見ると、OS Xは、当初からJIS X 0213対応を目標に開発されていたことが分かります。諸般の都合で初期バージョンでは不完全な実装であったということです。アップルの担当者は「日本語として流通させる、標準の文字集合は、まず2000JISありきだということです」と語っています。)

1年半ほど前にEOS Kiss X4を11万円ほどで買った(ダブルズームキット)身としては目を疑ったのですが、今年出た後継機のEOS Kiss X5、アマゾンで見たらなんと6万円台になってしまっていました。¥67,800。

何か見間違ってる? と思って指差し確認したのですが、確かにEOS Kiss X5のダブルズームキットです。

今年の5月には、EOS Kiss X4が安くなったという記事を書いたのですが、それから半年経たないうちに、今度はX5の値段で驚くことになりました (前の記事を書いたときは、X5の値段を記していなかったので、X5がどれだけ下がったのかははっきり分かりません)。

ちなみにX4は¥58,280だそうです。着実に下がっている。

安くなったなあ、デジタル一眼カメラ。

小型軽量なミラーレス機がたくさん出回っているのも、値段の下落に関係あるのでしょうか。この前函館に行ったとき思ったのですが、EOS Kissがいくら軽いとはいえ、旅行の荷物に入れるにはやはり嵩張る。それなら、最近流行のミラーレス一眼でいいんじゃないかという気がちょっとしてきました。

啓蒙されることは読書の醍醐味であると思います。同じものを見ても昨日までとは全く違うものとして認識せざるを得なくなるような、世界がガラリと変わるような体験。俗な言い方をすれば目から鱗が落ちるという感覚。蒙を啓かれたくて私たちは日々読書しているのかもしれません。

疋田智『自転車生活の愉しみ』は、そんな体験を与えてくれた一冊でした。

自転車というありふれた物のことを、私はこんなにも誤解していたのか。世界では自転車をめぐってこんなことになっていたのか。そんな思いでいっぱいになりました。

私が自転車に乗るようになったのはこの本がきっかけです。書店をブラブラしているときに何気なく本書を手に取らなかったら、私は今でも自転車に乗っていなかったか、もし乗っていたとしても非常に間違った乗り方をしていたかもしれません。

本書はもともと東京書籍から2001年に出版された本です。以来10年にわたって読み続けられています。自転車がブームだといわれて久しくなりますが、本書は間違いなくこのブームの火付け役だったと確信できます。

本書の特徴のひとつは、ヨーロッパの自転車先進都市の事情についての記述があることです。この部分、なにしろ10年前のものなので、この10年間の自転車事情の進展の補足が欲しくなるところではありますが、基本的な事項は今でも共通のはずです。特に、街づくりや道路整備にかかわる人には是非読んでほしいと思います。

非常に残念なことながら、今の日本では自転車について正しく理解されておらず、そのことが都市内交通の問題を引き起こしています。そういう現状があればこそ、本書がより一層多くの読者を得るべきだといえるのです。

自転車というものを、駅までラクに行くための簡易な手段だと思っている人には、是非本書を手に取って、目から鱗を何枚も落としてほしいものです。

東京・奥沢の中国茶の喫茶店「迎茶」のブログに、JIS第4水準漢字を外字扱いしたものがありました。

今年からの鳳凰単叢」という記事の中に、「烏[山東]山(ウートンサン)の」というくだりがあります。[山東] とは、山へんに東、「崠」のことでしょう。この字はJIS X 0213の第4水準、面区点番号2-8-48にあります。

他のサイトでは、例えば「缶缶辞典」の中のあるページに、「烏(山東)山 (ウートンサン)」のように見えたりします。

「烏崠山」でウェブ検索すると、中国語のものも含めて多数のページがヒットします。

武力による恐怖政治と、心を踏みにじる抑圧政策をやめさせてください。あなたの力が必要です」――こう記されたウェブページが公開されました (「半年間に7人が抗議の焼身自殺----チベットの非常事態を、とめてください。」)。

この中に、JIS第3水準漢字が使われています。「チベット・アムド地方ンガバ(四川省阿壩州阿壩県)」と記されている中の「壩」という字は、JIS X 0213の第3水準、面区点番号1-15-70にあります。このページはUTF-8で符号化されており、「壩」という字はHTMLの文字参照などでなく、この文字そのものとして記されています。どうやって入力したのか、ちょっと興味があります。

SKK第3・第4水準漢字辞書では、「あば」という読みから「阿壩」という地名に変換できます。この辞書をAnthy用に変換した辞書でも勿論変換できます。

もっとも、「あば」というのは漢字で書かれた地名を日本語読みしたものであって、本来の(チベット語の)地名は、上記に記したように「ンガバ」というような発音なのでしょう。

さてこのウェブページ、よく調べると、「方」や「大」といった字が、CJK統合漢字でなく、別のブロックにある康煕部首 (Kangxi Radicals, U+2F00-U+2FDF)のものが使われています。

どういう風に入力したら、康煕部首が入力されてしまったのでしょうか。こちらの方も興味があります。「こういう環境では康煕部首が入力される」といったことをご存じの方がいらっしゃったら、コメント欄等でご教示いただけると嬉しいです。

文字コードの話ばかりをしましたが、このウェブページに書かれている内容にも是非目を向けてほしいと思います。1950年に中国がチベットに侵攻して以来、チベットでは中国当局による様々な抑圧や深刻な人権侵害が行われています。このページで問題としているのはそうしたもののひとつです。

この機会にチベットの状況に注目する人が増えてほしいと思います。世界がチベットに注目しているとわかれば、これ以上のチベット人の自殺による抗議行動を防げるかもしれません。私たち、世界の人々がチベット問題に注目することは、チベットの状況を好転させることにつながると、私は信じています。

レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース 『シェア〜<共有>からビジネスを生みだす新戦略』を読みました。

この本について、byflowのコメントにはこのように記しておきました。

現代社会にはモノが溢れかえっていて、現代人はモノを持ちすぎている。そうなるとモノをひたすら売りつけるだけのビジネスは時代に合わなくなる。昔はモノが稀少であったが故にモノをシェアしていたが、今日はむしろモノが潤沢でありすぎるが故にシェアへの指向が生まれた。ネットの普及が人同士のマッチングを容易にしてシェアビジネスを後押ししつつある。というふうに読んだ。

これにもう少し付け加えてみましょう。

中には、この本に記されているような動向を否定的に見る向きもあると思います。経済が縮小するだけではないか、というように。

しかし、人々の間にシェアへの指向が発生するのには、必然性があるのだと思います。その方が経済的だから、とか、モノの置き場が家にもうないから、とか。

その必然性に逆らうのは難しいのではないか。むしろ、その傾向を前提として新しいビジネスを創造する方が建設的ではないかと思います。

主として米国での動きであって日本には関係ない、という見方をする人もいるかもしれません。しかし、日本が特別だというふうには考えにくいと私は思います。むしろ、狭い住宅でたくさんのモノに囲まれて暮らしている日本人こそ、シェアに向いているのではないでしょうか。日本でまだ足りないものは、シェアしたい人々を効果的に結び付ける仕組み・サービスだけであるように思えます。

消費者に次々と買い物をさせれば繁栄するという思考の枠組みが、時代に合わなくなりつつあるのかもしれません。

ノーベル賞と中国の関係を書いた新聞社のニュース記事にJIS第4水準漢字がありました。

この記事の中に、「中国中医学院の屠●(=口へんに幼)●(=口へんに幼)、首席研究員(80)が」というくだりがあるのです。

「口へんに幼」とは、第4水準漢字の「呦」(面区点番号2-3-74)でしょう。中国の人名に使われる漢字だから日本の漢字コードにないということはありません。

学研の漢字源は、この字の読みとして「ゆう」を載せています。「呦呦(ゆうゆう)」とは、「しかの鳴く声や、しのび泣く声、かすかな声をあらわす擬声語」だということです。

そういう名前の本があるわけではありません。これは、少し前にTwitterで、名前の前に「電子書籍」をつけてみるというお題が出ていたときにふと思い付いたものです。

実際のところ、電子書籍だろうと何だろうと、文字コードそのものが変わるわけではない。それは当然のことです。

にもかかわらず、電子書籍を前提に文字コードを語るとしたらどうなるだろうかと考えると、ひとつ言えることは、新JIS漢字(JIS X 0213)の重要性がより高まるということです。

新JIS漢字の必要性にあまりピンとこない人というのは、例えば情報システム開発のような仕事をしていて、仕様書や進捗報告なんかの業務文書で、JIS第1・第2水準以外の漢字なんて使うわけがない、という具合に思っているのかもしれません。それはそれで、ある程度正しい。(本当は、仕事のメモを取るうえでJIS X 0213の記号類は大変便利なのですが、それはとりあえずおいておきます)

けれども、書籍一般に使われる文字ということになれば、事態は一変します。漱石の『我輩は猫である』や芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のような誰でも知ってる作品にも第3・第4水準漢字は出てくるわけですから。

青空文庫に入っているような明治や大正の古い作品に限りません。このブログで紹介した例をいくつか挙げれば、

といった書籍に、JIS X 0213で追加された文字が使われているのです。このリストを作っていて、あれま、あの本が入ってないな、というのもいくつか思い付きます。例えば、吉川英治『三国志』や、野尻抱影『日本星名辞典』には第3・第4水準漢字がいくつも出てきます。

電子書籍のためには、新JIS漢字は必須アイテムだといっていいでしょう。本の制作者が外字だと思っていた文字も、その多くは(包摂され得るものも含めて)新JIS漢字に入っているものと思われます。

ああ、おっと、そういえば、『プログラマのための文字コード技術入門』という本にも、新JIS漢字はふんだんに使われています。なにしろ著者はEUC-JIS-2004で原稿を書いていたくらいですので。「魹ヶ崎」やら「𩸕網代」やらのような目立つもの以外にも、「摑む」のような言葉に地味に使われていたりもします。

ここ1週間くらいで、民放とNHKのテレビで、ノーブレーキピストの問題を取り上げた番組を3回ほど見ました。

ノーブレーキピストというのは、自転車のトラック競技に使われるピストと呼ばれる種類の自転車で、ブレーキをつけていないものです。トラック競技ではブレーキをつけないのですが、公道を走るにはブレーキをつけないと道路交通法違反になります。無論、法律以前の問題として、そもそも危険であることはいうまでもありません。

ブレーキがないのにどうやって止まるかというと、ペダルを逆向きにこぐ力を与える(バックを踏む)仕組みになっています。日常見る自転車は、こいで前進している途中にペダルを止めても車輪だけ回り続けるようになっています。一方ピストはペダルが車輪の動きと連動するので、前進しているときはひたすらこぎ続けないといけないし、止めようと思ったら逆向きの回転力を与えてやる。後ろにこげば後ろに進む、ということになります。

テレビで実験していたのですが、ブレーキをつけたピストとつけていないピストとで、制動力にどれくらい差があるかというと、もちろん格段に違うわけです。

販売店では法律違反のものを売るわけにはいかないから、ピストにもきちんとブレーキをつけて売るのですが、買ったいったチャラい兄ちゃん(←想像)が、後で外してしまうのだそうです。

こういう困った自転車が出てくると、他のスポーツタイプの自転車までいっしょくたにされて「ああいうの(ドロップハンドルの自転車)は危ない」という風潮になる可能性があります。困ったものです。

テレビを見ていて思ったのですが、視聴者のうちピストとロードバイクの区別がつく人はどれくらいいるのでしょうか。どうかすると番組製作者ですらよくわかってないんじゃないかという気さえしてきます。

こういうときのマスコミ的常套句として「暴走自転車」というのがあります。止まるのが困難という意味ではノーブレーキピストは暴走自転車といっていいかもしれない。でも、「だから自転車はゆっくり走れ」ということになってしまうと、自動車の代替としての自転車の可能性を大きく損なうことになりかねません。「歩道の暴走自転車」なんてのは大体において、車道を走ればどうということのないスピードです。歩道を走っているから問題なのであって、車道(の左側)を走れば良い。

自転車が車道を走るのは危ないと思っている人がいるかもしれませんが、それは素朴な思い込みにすぎません。ドイツ・フランクフルトの道路交通局の人は、「統計上は自転車が車道を走ると事故は起きにくい」とはっきり言っているのです (毎日新聞、「銀輪の死角:欧州の取り組み/2 フランクフルト(ドイツ)」)。

ノーブレーキピストの問題はそれはそれとして対処が必要でしょうが、ピストはおそらく一過性のブームであろうと思います。自転車の安全ということでより長期的・本質的に必要なのは、自転車が歩道ではなく車道を走るという原則を取り戻すこと、そして車道に片方向の自転車レーンを設置することです。これを忘れてはならないでしょう。

自転車が安全に走るには道路はどうあればいいかということは、疋田智『自転車の安全鉄則』に詳しく論じられています。この種の議論には必須の文献であろうと思います。

函館のお店

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先月、函館に行ったときに撮った、いくつかのお店の写真。

まずご紹介したいのは、六花亭の五稜郭店。

Beautiful shop / 六花亭五稜郭店

六花亭は帯広に本店を持つ北海道の有名なお菓子屋さんです。北海道土産などで食べたことのある方も多いでしょう。その店舗が函館の五稜郭公園のそばにあります。この店舗は建物がなかなか格好良い。写真は入口のところです。

さらに、店に入って驚くのは、五稜郭公園の借景です。公園側が大きくガラス張りになっていて、季節に応じた公園の景色が大きな絵のように眺められるのです。春に行ったことは私はありませんが、桜の木の多い五稜郭公園のこと、きっと素晴しい眺めでしょう。

喫茶コーナーもあるので、お茶とお菓子でゆっくりするのもおすすめ。

次に、ご当地B級グルメ。

ご当地B級グルメ

写真の左側は、「やきとり弁当」で有名なハセガワストア、右側はハンバーガーの「ラッキーピエロ」。「やきとり弁当」は、私が札幌で学生をしていた頃から、仲間内で函館に行くと「函館といったらとりあえずやきとり弁当」というほどの認知度がありました。ラッキーピエロは、昼時に店の前をとおりかかったら若い人たちが行列をなしていたほどの人気。私は食べたことがないのですが、腹を空かせた高校生とかがモリモリ食べるのに向いてるみたいです。

次に金森赤レンガ倉庫。

Kanemori Warehouse in night / 夜の金森倉庫

これをお店といっていいのかと思われるかもしれませんが、現在は商業施設として使われているものです。私が参加したイベントでは、ここで懇親会が行われました。

A café in Hakodate / 函館のカフェ

金森赤レンガ倉庫近くを歩いていて見つけたカフェです。入ってみましたが、いい感じでした。

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