2011年3月アーカイブ

寄付について

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今回の大震災について、様々な募金が行われています。ここでは寄付金についてちょっと記しておきます。

以下の記事に、寄付したお金がどのように使われるかが説明されています。お金を寄付したいけど具体的にどのように使われるのかよく分かっていない、という人は、読んでみると役に立つと思います。

詳しくは上のリンク先を見てほしいのですが、大きく分けて、被災者への見舞金となるものと、被災地で支援活動を行っている団体への資金提供とがあります。どちらも必要なお金です。

前者の、被災者への見舞金・義援金は、後で被災者に分配されるものです。赤十字などの募金はこれにあたります。

一方、後者のものは、被災地で物資輸送や医療などの支援活動を行っているNGO・NPOといった団体の活動資金となります。支援活動を行っている団体は活動報告をインターネットで公開していたりします。活動実績を見て寄付先を決めても良いでしょう。

自分の寄付するお金が、上記のどちらに分類されて、どんな風に使われるのか、といったことを気にかけるのが良いと思います。

あと、いくら寄付するのか、という問題もあります。

お金の余裕のない人からの500円や1000円の寄付は感動的なものですが、ここで考えたいのは、平均かそれ以上の収入を得ている人がどうしたらいいかです。

上記の記事はGive Oneというオンライン寄付サイトのスタッフによるものですが、この寄付サイトでは「だれもが所得の1%を寄付する社会」の実現を目指すことをビジョンとして掲げています。例えば年間所得が500万円の人なら1年に5万円寄付するといったイメージです。目安として分かりやすい指標といえるでしょう。年間1%を毎年続ければ、一過性に終わらずに、長期間の復興にも役に立つことができます。無理ない範囲で長く貢献し続けるのが良いでしょう。

日本には寄付文化が根付いていないといわれますが、この震災をきっかけに少しでも変わればいいと思います。

また、糸井重里氏は「じぶんひとりを3日雇えるくらいのお金」を提唱しています。これも面白い考え方です。

夕景を追って

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大地震の前の週末、神奈川県は三浦半島の西岸、逗子海岸に夕景を見に行ってきました。そのときの写真を何点か。

Sunset of Zushi Coast / 逗子海岸の夕景

ここからは江ノ島と富士山が重なって見えます。季節によって富士山はかすんだり雲の中に見えなかったりもしますが、この日は綺麗に見えました。

富士を見ながらこぐ

カメラを構えていたらちょうど自転車が通りかかったので、そのまま撮影しました。

富士、江ノ島、ウインドサーフィン

海上にはウインドサーフィンをしている人が見えました。

夕照ウインドサーフィン

引いた構図でウインドサーフィン。

明かりの灯る江ノ島

江ノ島の灯台に明かりが灯りました。

さて、私が三浦半島に注目するようになったのは、三浦半島を舞台にした漫画、芦奈野ひとしの名作『ヨコハマ買い出し紀行』の影響です。

作中、葉山町と横須賀市の境にある長者ヶ崎をモデルにした「北の大崩れ」にて、夕景を見にきた主人公にこう言わせています。「次に来る一瞬 / 藤色のフィルター」。漫画は白黒ページなので藤色も何もないのですが、想像力を喚起させる一言でした。こういうのにひかれて私はその後何度も三浦半島に足を運んで散歩したりしたものです。長者ヶ崎は実際に夕景の名所として知られています。

上の写真は長者ヶ崎よりも少し北ですが、逗子海岸の夕景も良いと思います。作中に逗子海岸は出てこないものの、旧版2巻の裏表紙には(水没後の)逗子海岸らしい景色が描かれています。

今回の大震災で、被災した人の安否確認のための手書きの名簿をデジタル化しようとして、漢字表記をどのようにコンピュータにうつすかでなかなか難儀していると聞きました。電子化するためのガイドが作られたという風にも聞きます。

確かに、手書きの漢字を電子化するのには、文字や書体についての知識が必要で、一筋縄ではいかなかったりします。

ここで気にしたいのは、人名の漢字表記のコミュニケーションコストです。文字コードの面倒くさい事情や「外字や異体字」の不毛な話をさておくとしても、例えば、キクチさんという人が菊地なのか菊池なのかとか、タロウさんという人が太郎なのか太朗なのかとか、アベさんが阿部なのか安倍なのか安部なのかとか、紛らわしい面倒の種は無数にあります。

そこで、いっそのこと、名前の公式な表記は片仮名を第一にしてしまってはどうかという発想が出てきます。

コイズミ首相の次の総理大臣は安部さんだったか安倍さんだったか阿部さんだったか分からなくなっても、アベシンゾウとさえ書けば、手紙の宛名書きでもなんでも、一向に失礼でない、という風に決めてしまうのです。失礼かどうかというのは、所詮社会的な決めごとに過ぎないのだから、便利なように変えてしまえばよろしい。

それどころか、名前の表記の第一を片仮名にして、漢字表記はオプション扱いにしてしまってもいいかもしれない。今の戸籍は漢字の名前だけあって読みは知ったことでないという風になっていますが、むしろ逆に、仮名文字の表記を第一にしてしまうということです。

仮名文字ならば、声に出せばそのまま伝わるのだし、漢字がどれだったかを気にする必要もない。今回のような緊急時には特に利点を発揮するでしょう。名簿はまず片仮名でガーッと作ってしまって、後で余力があれば漢字を追記して同姓同名を見分けるという風にできる。

実はこれは私のオリジナルなアイディアではなくて、何か漢字についての議論の中で見かけたものです。具体的にどこで読んだのかは忘れてしまいました。最初に読んだときは私もかなり抵抗を感じたのですが (実際、抵抗を覚える人が多いだろうから、実現するとは思っていません)、今回のような事態が発生すると、実務的に有力な方法なのではないかと思えてきます。

東京では今いろいろなイベント等が中止・延期になっています。これは、電力不足や、それに伴う交通の混乱が主な原因といえます。

札幌はそういう問題を抱えていないのだから、いつもどおりの活動を是非続けてほしいと思います。震災の犠牲者を悼んで、というのも分からなくはないですが、それは短期間でいい。早く通常営業に戻ってほしいと思います。

北海道新聞に「イベント自粛広がる 大震災影響」という記事がありますが、やや過剰反応のように私の目には映ります。

電力不足により東京が失った日常を取り戻す場として、札幌が機能してほしいと思います。

この問題が長期化すれば、数ヶ月後には関東地方は夏の厳しい暑さを電力不足のまま迎えることになります。これは深刻な問題になり得ます。企業活動なども、東京を脱出し、夏涼しく自然災害の少ない札幌で引き受けるべきということになるかもしれません。

さらに、今回の件により東京一極集中のリスクが意識されれば、大阪、名古屋等他地域への分散が必要とされるでしょう。その一角として札幌も機能するはずです。

津軽海峡の南から観測するところでは、最近札幌は明るい話題が多いように思います。駅前通りの地下歩行空間や創成川公園が相次いで完成して、街が活気付くことでしょう。是非、元気に活動して、東日本復興の一翼を担ってほしいと期待します。

ちなみに、上の北海道新聞の記事にはJIS第3水準漢字を外字扱いにしているところがありました。人名に、「☆谷」として「(注)☆は「糸へん」に「白」」とありますが、これは「絈」(1-90-02)でしょう。カス、カセ等と読む字なので、「絈谷」はカスヤとでもいうのでしょうか。

心を助ける

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この度の大震災。

被災地にいる人たちの苦労は大変なものだと思います。

が、被災地から離れたここ南関東にいても、被災していないにもかかわらず、結構な疲労を感じるのも偽らざる感想です。小さなことですが、私は昨日血圧を測ったら明らかに普段より高い値で、正常値の範囲を越えていました。

なぜここ南関東にあって疲れるか、ということですが、原因はいくつかあります。

  • 相次ぐ地震。余震や、余震とは無関係な地震が昼夜問わずくるので疲れます。この一週間で緊急地震速報の不吉な音を何回聞いたことでしょう。東北だけでなく長野や静岡でも強い地震が起こると(その度に関東も一緒に揺れます)、一体この先どうなるのかと心配もするというものです。やたらと揺れに敏感になって、自分の心臓の鼓動を地震だと錯覚したりもします。
  • 交通機関の乱れ。私個人はあまりこの被害を受けていないのですが、人によっては日々の通勤が大変そうです。
  • 停電。地震当日に停電したのをはじめ、14日以降の計画停電によって、停電したりしなかったりするので、対処に追われています。(なお、東京都内は、首都機能の維持のため大部分が計画停電から外されています)
  • マスコミ報道。想像を絶する被害の映像が延々と流れ、さらに次から次へと問題の発生する原発の報道。こうした情報にさらされ続けると、精神的に疲労するのは無理もありません。(テレビ東京は比較的早くから通常放送に切り替えていましたが、こういう局がひとつくらいはあった方が精神衛生上いいと、私は思います)
  • 物の欠乏。スーパーの棚から一部の物が消えたことも、不安・緊張の種になっているかと思います。

こうした原因によって、被災地でなくとも、結構な疲れが溜まっている人が少なくないと思います。私などが疲れたというと被災地の人に申し訳ない気はするのですが、どうも私だけではないようなので、注意喚起として記しておく次第です。

さてこうした大災害があったときに、自分にできることは何かないか、と考えるのは確かに良いことだと思います。その一方で、普通の人にできることは限られているのも、確かなことだと思います。現場では訓練を積んだプロが事に当たっているのだから、我々普通の人ができるのはそうしたプロが力を発揮できるよう支援する、さもなければせめて邪魔しないようにすることぐらいでしょう。支援というのはお金を寄付することも当然含みます。

いくらかのお金を然るべき団体に寄付することは大事なことです。またそれと同じくらい、身近な人たちの不安や緊張をやわらげることが大事だと思います。自分にできることはないか、と思っている人はぜひ、周りの人たちの心を助けてあげてほしいと思います。mixiやTwitterといったSNSをそうした目的に使うのは良いことです。いいかげんな風説でなく確かな情報を調べることも、心を助けることにつながります。

どんなテクノロジーもそれを動かすのは心を持った人間なのであるから、心の状態がきちんとしていることが何をするにも肝心です。

幸い、この大災害の中でも、各地で良い人間性が発揮されていると報道されています。これは大変勇気付けられるニュースです。世界の過去の大災害につきものの略奪や秩序の喪失といったことが日本の被災地では見られないとして、世界で驚きをもって報じられているのはよく知られている通りです。また、海外からも様々な援助の申し出や共感の声が寄せられています。物質的には決して豊かとはいえない国の人や、国を失ったチベット難民までもが、義援金を募ってくれたりしているということです。

私がTwitterでフォローしている仙台在住の人は、茨城の被災は報道もされておらず大変だ、助けてほしい、という内容のツイートを、自分も大変な状況であろうにそれをさしおいてリツイートしていました。こうした高潔さは人の模範となるものです。

結局、良い人間性、思いやりの心といったものが、普通の人が持つ一番の資質であって、それが物事の最終的なよりどころになることもあるのだと思います。だから、身近な人と、お互いに心が平静であるよう助け合い、心の疲れを癒やすことが、こういうときにはことのほか重要だと思うのです。

この度の大地震とそれにともなう交通機関の混乱を受けて、東京近辺では自転車が増えているようです。大地震当日は電車がほとんどストップして「帰宅難民」が大量発生した中、自転車を勤務先の近くで買ってすぐ乗って帰った人もいたそうですし、週明け月曜日は電車の本数がかなり減っていたためか自転車が多く走っていました。電車が割合回復してきた今日でも、いつもより多くの自転車を見かけています。

普段自転車にあまり乗っていなくて、自転車って案外便利かもしれない、と今回見直したという人には、自転車の正しい乗り方、ルールというものを、是非認識してほしいと思います。ルールを守らない自転車が増えるのは勘弁してほしいですから。ルール違反は事故の元です。

自転車の著作を多く持つ疋田智さんのメルマガに、5点挙げられています。この5点は是非とも遵守していただきたいと、私も思います。

詳しくはメルマガ本文を読んでほしいのですが(420号421号)、ここに簡単に紹介しておきましょう。

  1. 左側通行――まず断然一番目にお願いしたいのは"左側通行"だ。これはもう厳守。絶対の鉄則である。
  2. 信号を守る――思いの外、守られていないのがこれだ。
  3. 飲酒運転をしない――自転車も飲酒運転はダメだ。飲んだら乗ってはならない。
  4. 夜間無灯火をしない――夜間無灯火こそが、夜の事故の主因となっている。
  5. 歩道はあくまで歩行者優先、その上で徐行――歩道はあくまで「走らせてもらっている」立場なのだ。

また、「自転車の車道でのルールは、原付とほぼ同じである」とも言っています。これは分かる人には分かりやすい考え方でしょう。

車道を走るのか歩道を走るのか、という点が上のリストでは(意図的に)入っていないのですが、この点について付け加えておくと、私自身はほぼ常に車道(の左端)を走っています。歩道に上がる必要のあるときは大抵、押して歩いています。

なお、上の5点は、今回自転車を見直した人だけでなく、普段乗っている人も含めて、皆が守ってほしいことでもあります。

以前台北のホテルに宿泊したときのこと。

ホテルの人が手渡した印刷物に、私の名前の「啓」の字が、第1画の点が下とつながっている形で印刷されていました。これを見てちょっと懐しい気持ちになりました。

というのも、かつて子供の頃、私の祖母が、私の名前を書くのにこの形で書いたことがあったのを思い出したからです。子供の私はその字を見て不思議に思いました。が、これによって私は、漢字にはいくつか違う書き方をすることがあって、それらは区別する必要がない、ということを知ったのです。

文字を知るということは畢竟、異なる字形にもかかわらず同じ字だと認識できるようになることなのでしょう。そんなことを考えた台北滞在でした。

私は札幌から南関東に引っ越してもう十年以上になりますが、今でも北海道とりわけ札幌のことをよく考えます。むしろ以前よりも、北海道・札幌がより良くなってほしいという願いは強くなっています。

札幌がより良くなるためには、交流拠点としての性質に目を向けてはどうかと思います。

全国から人が集まるような会議やイベントなどの場合。札幌は他の地域から遠いというイメージがあります。それは一応その通りでしょう。しかし、その分、航空路線が充実していて、全国各地から飛行機で新千歳空港に行くことができます。だから却って全国規模の交流の拠点としては向いているという見方もできます。

また、国際的な場合。北海道は今や、中国・韓国・台湾など東アジア地域の人々にとって人気の観光地となっています。中国人が日本で旅行に行きたい場所のトップが北海道だという調査が報道されていました。また、台湾では新婚旅行で北海道に行くカップルが増えたという話も聞きました。そんなわけなので、国際的な会議などでは、開催地を札幌に設定することでアジア圏の人々の関心を高めることができるでしょう。

実際、電子書籍規格のEPUBの国際標準化の会議を日本でやることになったとき、日本人が最初は東京で開催しようとしていたのですが(なんとなれば自分が東京にいるから)、韓国人の要望で札幌になったということがあったそうです。札幌にはそれくらいブランド価値があるのです。

また、札幌ではありませんが、EDIなどの国際標準化を行うUN/CEFACTの会議を小樽で開催して好評だったという話を聞いたこともあります。

これを踏まえて札幌の人にお願いしたいのは、国際的な交流拠点としての地位を確立するような政策を推進していただきたいということです。交流拠点となったならば、次には国際的な活動拠点となる道が見えてくるでしょう。そうすれば多国籍企業が事業所を構えたりして、企業活動の活性化につながります。

交流拠点ということで思い起こすのは、レナード・バーンスタインの提唱によって札幌で始まった国際教育音楽祭、パシフィック・ミュージック・フェスティバル (PMF)です。こういうのも一つのヒントになるでしょう。

国際的な交流拠点そして活動拠点となることが、札幌の次代の繁栄の鍵となると私は信じます。

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